08/01/01 22:22:41 vDOSgiF60
>>481
1930年代、アメリカでは最高160km/hでぶっ飛ばすSL列車やディーゼル列車が主要都市間連絡の主流を占めていた。
だが同時に1936年時点で「運賃収入で運行コストを完全に賄える旅客機」
ダグラスDC-3がデビューしていたことも無視できない。
DC-3は第二次大戦中、軍用貨物機バージョンがC-47の名で1万機も作られた。
1945年まで落とされずに残った数千機が戦後に旅客機のDC-3に改造されてアメリカ中を飛び回るようになった。
並行して戦時中、ダグラスDC-4やッキード・コンステレーションといった
「DC-3の2倍3倍を運べる」大型旅客機が開発されていた。
しかも土地の広いアメリカでは飛行場建設なんて簡単。
鉄道の2倍から3倍のスピードを出せる航空機が早々と普及したことで、アメリカでは
1950年代には航空機の覇権が確立してしまった。
またアメリカで、日本の大手私鉄に当たる電鉄会社が潰れたのは、
自動車会社の陰謀で潰されたと言うより、
自家用車の普及が圧倒的で、その攻勢に対抗しきれなかったのが実情と言われる。
陰謀を企まなくとも電鉄会社の命運は尽きていた。