10/02/10 04:51:05 55mcByQF
リバタニアリズムが想定する国家像は多くの人には直ちには受け入れがたい
大抵の人には何らかの帰属を表す集団があり、
その集団の規範にある程度盲目的に従うことで生活している
その中の代表的なものが「国籍」である
行き過ぎたナショナリズムが排外主義に陥るのは今回の外国人参政権の反対を見れば明らかだが、
一方で、外国人参政権を要求する在日も完全に自由な個々人を想定しているのではなく、
「在日」という独自の帰属集団が現にある
国籍、またはそれ以外の多層的な集団間の利害調整と考えるのが政治の現実である
また、国には軍事警察司法をはじめとし、非常に強大な強制力が集中しており、
住民がそれらに直接帰属していると考えるには、
彼らがあらゆる政治課題に対して何らかの意思表示が想定されており現実的ではない
リバタニアリズムを体現する社会は、せいぜいのところ、
香港やシンガポールにその萌芽が認められるに過ぎない
それとて経済自由主義がほぼ全てであり、行政はむしろ極端に規範を強制する
リバタニアリズムが想定する個人はレベルが高すぎる
愚かであるがゆえに社会への盲目的な追従が平和を導き、
愚かであるがゆえに時にナショナリズムが暴走する
民主政治は衆愚というが、それを愚かならしめる根源が個人の能力の限界にある以上、
リバタニアリズムは賢者のための民主社会としてしか存在しえないのではないか
ちなみに、外国人参政権は、地方政治に限定して賛成する
地方の統治と、国家の統治とは別のものであり、理由は後述する