09/07/27 11:47:39 5y/BlJPh
>>259
建前としてはそう。ただ、実際には「衆は愚」という意味での衆愚でもあること疑えない。
福田首相(当時)は2008年1月18日の施政方針でこう述べている(以下抜粋)
国民に新たな活力を与え、生活の質を高めるために、これまでの生産者・供給者の立場から
作られた法律、制度、さらには行政や政治を、国民本位のものに改めなければなりません。
国民の安全と福利のために置かれた役所や公の機関が、時としてむしろ国民の害となっている
例が続発しております。私はこのような姿を本来の形に戻すことに全力を傾注したいと思います。
私は日本人の力を信じています。日本人は、目前に困難があろうとも、必ずや未来を切り拓く、
その力があると確信しています。
「井戸を掘るなら、水が湧くまで掘れ」
明治時代の農村指導者である、石川理紀之助の言葉です。疲弊にあえぐ東北の農村復興に
その生涯を捧げた人物です。
彼はどんな時も決して諦めることなく、結果を出すまで努力することの大切さを教えました。
そして彼は、様々な事業において、
「何よりも得難いのは信頼である。進歩とは、厚い信頼でできた巣の中ですくすく育つのだ」
とも述べています。
URLリンク(www.kantei.go.jp)
別にこの政権の是非を問うているわけじゃない。いいたいのは、
「石川理紀之助」なる人物の事績を、いわゆる一般国民のどれだけが知っていよう。
どれだけの人が、地元の真の偉人を見い出し、あるいは偽の偉人を批判する任務を自ら買っていられよう。
昨日も志位委員長が「日本の礎を築いてこられた高齢者」と語った。
だが「一般国民」のうちどれだけの人が、「礎」を定量的に・個別的に・また功罪含めた総体として
評価する作業が出来ようか。
日本は構造上も実質上でもいわゆる哲人政治ではないけれど、為政者また公僕はいかなる政治体制に
おいてもそうあるよう心がける必要がある、と思う。