09/06/28 15:37:05 EAh7BroA
われわれは経済的な、あるいは政治的な利害を粉飾し美化するためにのみタテマエ・きれ
いごとを活用するのではない。しばしば自己満足、自尊心、周囲からの評価を求めて正
論や道理を説く。こうした内的欲求はふつう私利私欲とは呼ばれないが、即物的な満足を求
めるのも主観的な満足を求めるのも私的な動機という点でかわりない。
気をつけなければならないのは、タテマエやきれいごとを語る者が自らそれを信じている
ほどには聞かされる者は信じないものだし、また周囲の面々に信じてもらえると期待するほ
どには信じてもらえないものだ、ということである。どんなに立派なことを雄弁に語ったと
しても、「耳のある者」が聞けば舞台裏はお見通しである。政治家の公約や私企業の社史の
内容を本気で信じるほどナイーブな現代人は、むしろ少数だろう。
もちろん自己陶酔は可能だし、相手が愚か者ばかりなら感動してもらえるかもしれないが、
いずれにしても空しい話ではある。
―頼藤和寛『人みな骨になるならば―虚無から始める人生論』―第2章 思い込みの由来~から引用