09/02/20 23:49:09 +R1rj4kq
稲田朋美 著 「百人斬り裁判から南京へ」より
私の母方の叔父は特攻隊に志願して、終戦のわずか三ヶ月前に飛行訓練中の事故で
なくなっていた・・略・・叔父が入隊する前に母のところにきて写真をおいていった。
・・略・・二十一歳だった。写真をみた中学生だった息子が「この人僕ににてるなあ。」
といった、その叔父も靖国神社に合祀されていることがわかった。
それ以来毎年命日には靖国神社に参拝している。
数ヶ月後、名越二荒之助先生が大阪にこられ、初めて講演を聴いた。
目から鱗だった。「五千人以上の青年が命を捨てて突撃する国は日本だけであった。」
「このような国を誇りに思わなければいけない。」
「大東亜戦争は一つの叙事詩である。」これらの言葉は私が大東亜戦争(太平洋戦争)に対して
抱いていたイメージを一変させた。
多くの日本人がそうであるように私も大東亜戦争は多くの日本人を犠牲にした過った戦争であり、
特攻隊の若者はかわいそうな犠牲者と思っていた、しかしそうではないかも知れないと
思い始めた。