09/01/30 08:28:40 wDXlP3Ax
>>166続き
2 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2007/04/15(日) 04:12:53 ID:???0
(>>1の)
「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の
午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」
フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活して
いた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。
中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に
言及、「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女として獣の如き軍隊の淫楽に
供した」と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、「工場を設立するという口実で、
かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を
強制した」と認定している。
一連の資料について林教授は「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが
事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の
意味は無視できないだろう」と話している。(以上、一部略)
>以下に続く