09/11/08 21:16:31 ljZh93eb0
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「合憲論者はいつも、法律は専門家の裁判官がいるので問題はないと言うが
そうであるのならば裁判官だけでいいのではないか。もし、量刑を変えたいの
であれば、国民の代表である政治家が時世にあった法律を作ればいいのである。
しかし、制度はそうとは言えない。国民の感覚を重視するということと裁判員
である国民と裁判官は限りなく対等であり、正に法と人間の感情との戦いが
勃発するのではないか」
「今後、考えられるのは優秀な弁護士による弁護料の高騰、正に凶悪犯を
無罪にする力を持った弁護士の出現である。裁判員裁判は加害者の立場に
立った制度と言える。なぜなら、軽い刑側に関しては国民感情に制限はなく、
無罪を言い渡す事ができるからである。優秀な弁護士による殺意の隠蔽が
可能に成るのである。法律知識、法律経験、法律環境、全てに未経験の国民は
芝居の如く、劇の架空の空間の中で叫び、嘆き、信じる、法廷という舞台は
真実の無い架空の空間を作る事が出来る、正に人間が演じる演劇そのものであり
感情が支配する架空の空間と言える」
「何も知らない国民が現実社会だけしか知らない国民が法廷と言う架空の
空間に突然迷い込み、百戦錬磨の法律家と渡り合う、こんなことが在り得る
筈がなく、裁判員制度を承認した国民たちに言葉を送るとすればただ一言
< くそったれ >と言いたい。私の感覚は身内に厳しいほうかも知れませんね」