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「反捕鯨の病理学」
(1)朝日新聞の奇妙な対外姿勢
(2)朝日新聞の捕鯨問題報道
(3)再び、朝日の報道姿勢一般について
(一部抜粋)
右で引用したカウスブルックの本も、ポスト・コロニアリズム時代と言われながらヨーロッパ人が過去の帝国主義をさっぱり反省していないという告発の書として書かれたものである。
オランダ人でも、心ある人にはそうした倒錯した事情が明瞭に見えているのだ。彼はこの点について次のように述べている。
「戦争当事国がお互いに怪物だとか野蛮人だとか言って相手国を罵倒するのは、もちろんいかなる戦争にもつきものだが、極東戦争においては、植民地支配の事情とそれにつながる人種偏見のために、この戦争像が一段と複雑なものになっている。
日本軍のオランダ領東インド侵攻は侵略戦争としてだけでなく、ある種の”違反”とも見なされた。
つまり、西洋の国を攻撃するとは身分不相応なことであり、そのうえ負けることを知らないとはなんと礼儀知らずで謙譲の美徳のなさよ、と見なされたのである。」
「日本に攻撃されたのはオランダ人であるが、彼らは本国にいたのではなく、戦争の舞台となったインドネシアに武力侵入して植民地化し、軍事支配の上にあぐらをかいていたのである。
(…)彼らの戦後の幾多の歩みは、自己の潔白を装った姿での、完璧な犠牲者という身分にしがみつくための戦いであった、と見ることができよう。」
そして彼はこの後で、オランダ人は日本人と同じ尺度で測られることを侮辱と見なすと述べている。つまり日本人の戦争犯罪はケシカランが、自分たちの植民地主義はそうではない、自分は日本人とは別なのだということだ。
こうした二重基準が、オランダ人・ヨーロッパ人ばかりか、日本人の思考法をも蝕んでいるとは何としたことであろう。それも日本の代表的新聞と目される朝日においてなのだ。朝日は、このことがもたらすかも知れない悪影響について考えたことがあるだろうか。
二重基準が骨の髄までしみ込んだヨーロッパ人は、朝日の記事を読んで満足してうなずくだろう。そうだ、自分とアジア人は同じ基準で測られてはならないのだ、何しろアジアの経済大国日本を代表する新聞も同様の見解なのだから、と。
自国政治家の不注意な発言が外国に与える悪影響に敏感であるなら、自分の論調がヨーロッパ人の偏見を助長していないかにも同様に敏感であるべきだ。朝日はこの点を厳しく自己検証すべきであろう。
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