10/03/10 18:12:19 KyHVtMwK0
勿論上述は、殺人を図る者が少なくとも「必ずしも死刑になるとは限らない」という現状を認知している、という前提の上に成り立つ
もし「殺人したら必ず捕まり必ず死刑になる」と教え込まれそれを微塵も疑っていない世間知らずで純粋な余り賢くない者が実在し(要証明)、彼が「死刑になりたくない」という理由だけで殺人を止めた(要証明)なら、彼に対して抑止力が働いたと言えるだろう
ところが彼ほどの単純馬鹿なら、代わりに「殺人したら必ず一生刑務所暮らしになる」(その他本人が嫌がる条件。嘘でも可)と教え込んだとしても、何ら変わらない抑止効果が認められるのである(つまり死刑は必須ではない)
実際に殺人を思い止まるのは「死刑になるかも」のような不確かな基準ではなく、次のような理由からである
①良心が痛む、人としてやってはいけない、周囲に迷惑を掛ける、世間体が、マスコミで取り沙汰されるのは恥、殺害せずとも問題解決の手はある筈、時間と共に冷静になった、まだ我慢できる、人生まだやり直せる、逮捕されたくない、殺人は不快、反吐が出る、e.t.c.
これらは裏を返せば、
②良心?ナニソレ、一度でいいから人を殺したい、周囲に迷惑を掛けているのは寧ろ相手、世間体?糞食らえ、ワイドショーで騒がれたい、最早殺す以外に手はない、時間と共に憎悪が募る、もう我慢できない、どうにでもなれ、逮捕されたい、殺人は快楽、興奮する、e.t.c.
死刑の抑止力を証明するには、本心から②を肯定し①を否定している殺人計画者が「やっぱり死刑はイヤ」という理由だけで思い留まった実例や、「死刑の不存在が凶悪犯罪起因の十分条件になる論拠」を一つ提示すればよい
現実には、その科学的根拠がないことに気付き始めた国や地域が、次々と廃止しているのである
その1の補足1「死刑がなかったら私は誰々を殺す(殺した)。これは死刑の抑止力の証明」
「私は法律を守る正しい人間だ」という善人アピールに過ぎない。死刑を回避する手段は幾つもあり、日本の場合、仮に殺しても99%死刑にならないのが実態。この手の発言者が本当に怖れるのは、死刑ではなく警察権力or世間体or面倒な事態or自由を束縛されること等である
その1の補足2「凶悪事件の被告人の殆どは死刑を回避したがる。これは死刑の抑止力の証明」
警察官・刑務官・弁護士・宗教家等と接触するなどして冷静さを取り戻せば、死を恐れるようになるのは自然なことである。そもそも幾ら抑止が働いたところでそれが犯行「後」では意味がない。よって「被告人が回避したがる」は抑止力の根拠にならない
その1の補足3「拳銃を突き付けられたら殆どの犯罪者は死を恐れ犯行を止める。これは死刑の抑止力の証明」
犯罪時に目の前に絞首台がある訳ではなく、拳銃のように死や痛みへの恐怖を直接的に連想させる力は死刑にはない。また拳銃を突き付けられるのは専ら犯罪を犯した「後」であり、これも抑止力の根拠としての意味がない
その1の補足4「18歳未満は死刑にならないからと犯行に及んだ者がいる。これは死刑の抑止力の証明」
「18歳未満だから死刑にならない」という発言は、「自分が死刑になると知ってたら殺したか」「死刑になってもいいのか」「お前が大人なら死刑になるところだぞ」などと咎めてくる知人・警察・弁護士・裁判官・被害者遺族等に対する奇を衒った知識自慢に過ぎない
その本心は「少年法くらい知ってますが何か?w」「よく考えてから物を言え」「愚問を発するなバ~カ」。言われた大人が目を丸くすれば、一層自己顕示欲を満足させ悦に入るのがオチ
その1の補足5「仮に全ての刑罰を死刑にすれば犯罪は確実に減る。これは死刑の抑止力の証明」
前半は正しい。軽犯罪において厳罰化に抑止効果があることは自明である。しかし「軽犯罪に当て嵌まるから重犯罪にも当て嵌まる」という拡大解釈は「軽犯罪者も重犯罪者も同じ心理状態下」という短絡的で非現実的な極論を前提にしているために起こる錯誤である
軽犯罪に死刑が効くのは「罰則のデメリットに対して行為のメリットが釣り合わない」「軽犯罪を企図する者が比較的正常な判断力を有する」からであって、正常な判断力に欠けた者は刑の軽重に関わらず、バレないだろうと思い込むか死刑覚悟の上で犯罪する
その1の補足6「公開処刑すれば抑止力になる」
免役のない一般市民には一時的に効果があるが慣れるとそれが当たり前になって余興化し、次第に効果は薄れる。逆に「気に食わない存在は殺してしまえ」という不寛容で排他的な風潮が蔓延し人々の心が荒廃し、却って凶悪犯罪が増す
また公開処刑を見た犯罪予備軍が「自分もあんな風に処刑したい」等と連想し、新たな犯罪の引き金にもなり兼ねない
続く