10/03/14 13:55:58 sJGGfXEf0
>>121
そうかな? むしろ存置派は結構価値観については他人を認める傾向が有るぞ。
例えば俺のスタンスとしては、ある人間の価値観が「そうあること」については自分の子供か何かじゃない限りどうこうは言わない。
でも、その人間がその価値観に従って「あることをしよう」と言ったときには、実現の可能性や見通しについて意見をする。
「君の価値観が間違っていて、俺の価値観が正しい」という意見ではなく、必要性、実現性、リスク、コストと言った分野の意見にするようにしている。
互いの価値観が同じ重さを持つなら、別の共有可能な価値を以って議論しないと意味がないからね。
(もっとも「犯罪は少ない方がいい」「苦しむ人間は少ない方がいい」ぐらいの価値観は共有できてると思っているが)
逆に、俺の眼から見ると一部の廃止派の方が「善悪中毒」に至っている気がする。
例えば「自分にとってどんな殺人も『悪』だから、死刑は廃止しなければいけない」
「この価値観に反対する人間も同様に『悪』であり、思想を矯正すべきだ」とか、さ。
で、例えばそういった人間に共通されるのが現実との乖離。
例えば君は
>俺の理解は、君らのような思想が蔓延している事も原因の一つだと思ってるよ
としているが、実際には冷戦の終結、思想的空白、兵器の発達とコスト増などの負うところが大きい。
そう言った共有可能な価値観での会話をせず、自分語りをし、それが否定されると「叩きだ!」…というのは自分の善悪への中毒じゃないのかな。
もっとも観念君の持ってきた本も相当に幼稚だが。
…実際には犯罪を減らすべく日々努力がなされており、それに心血を注いでいる人間もいるのだが、
何も政策提案できない人間がよく彼らを馬鹿にできたものだなぁ…
まさに「敵対する意識に攻撃を掛ける事ばかりに躍起に」なっている典型と思えるが。