09/11/11 10:55:15 GEm+qWSW0
時系列の致命的な矛盾は、このスレでも既に指摘した。
以下、再掲。
サラ氏はブログに『レイプ未遂事件発生』を2002年9月16日と書いている
URLリンク(yai-s0820.cocolog-nifty.com)
また、次のようにも語っている。
URLリンク(yai-s0820.cocolog-nifty.com)
>母の退官祝い(2002年10月)
>母の祭司職の退官祝いが、公民館主催で母の自宅(サラ実家)にて行われた。
そして、この退官祝い後の自宅の宴会において、サラ氏は県会議長(当時)に事件当日のことを話したとサラ氏はブログに書いている。。
つまり、彼女の記述では、『事件発生』の約1ヶ月後に母の退官祝いがあり、その宴会の席で県会議長に「事件」について相談したことになる。
しかし、2005年10月15日の八重山毎日新聞記事によれば
URLリンク(www.y-mainichi.co.jp)
>後●多さんは1949年、24歳の時から浜崎御嶽の神司を務め、昨年8月の「神いとま」
>の行事で退任した。
すなわち【サラ氏の母の神司退任は2004年8月】だ。
この2年2ヶ月のずれはなんだろう?
八重山毎日の記事が間違っているのか?
大切な母の退官祝いの年、しかも自分自身に起きた重大な『事件』直後の年号を、こうも簡単に間違えるものだろうか?
ネットで指摘されてもなお訂正もせず、そのままにするだろうか?