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10月24日付け「サラの日記」
>記事がわかりづらいと多くの方から指摘があり、整理して、読みやすいようにアップ致します。
として、それまでのブログエントリーを削除してしまった。記事消去の動機、理由は不明。
サラ氏は自身のブログで『レイプ未遂事件発生』を2002年9月16日と書いている
URLリンク(yai-s0820.cocolog-nifty.com)
そして、次のようにも語っている。
URLリンク(yai-s0820.cocolog-nifty.com)
>母の退官祝い(2002年10月)
>母の祭司職の退官祝いが、公民館主催で母の自宅(サラ実家)にて行われた。
そして、この退官祝い後の自宅の宴会において、サラ氏は県会議長(当時)に事件当日のことを話したという。
つまり、彼女の記述では、『事件発生』の直後に母の退官祝いがあり、その宴会の席で県会議長に相談したことになっている。
しかし、2005年10月15日付け 八重山毎日新聞記事によれば
URLリンク(www.y-mainichi.co.jp)
>後田多さんは1949年、24歳の時から浜崎御嶽の神司を務め、昨年8月の「神いとま」
>の行事で退任した。
つまり、八重山毎日の記事によると【サラ氏の母の神司退任は2004年8月】ということになる。
この2年2ヶ月のずれは何だろう。
サラ氏の単純な記述ミスなのか?或いは記憶違いなのか?
大切な母の退官祝いの年、しかも、自身に起きた重大な『事件』の直後の年をこうも簡単に間違えるものだろうか?