08/06/02 13:21:54 fr+T5Q580
存置は純粋に「死刑を残すべき」という到達した確固たる事象があるのに対し
廃止派は論点が存置の「思考程度」に焦点が集まるようだ。
端的に言えば”そりが合わない”のだろうが、それだけに説得力がない。
確かに存置派は直感的な輩が多いのも事実で、直感=己の尺度で死刑廃止を
考えた場合に、本能的に法を犯す危険というものを感じているのではなかろうか。
かたや廃止派は、己の知性を証明したいがための議論につながり易いのも事実で
感情論の応酬では必ず相手の知性の無さのくだりに結びつけている。
両者を形容すれば存置が「感情的だが現実的」
廃止派は「思考的だが情緒的」という全く正反対のタイプであることが判る。
どちらがどう歩み寄るかは別として、何が問題になるかといえば
存置派は余りにも直感的で確信的であるばかりに、どうしても感情論で反応する。(バカに見える)
廃止派は自らの理想論に合わせ欧米各国の事実をもって裏付けとする。(説得力が無い)
という相互解釈が抽出できる。これだけで甚だお粗末な結論ではあるが、、
思うのだが、
存置の直感的感情論の核心が日本人の意識とするならば、日本古来の共同体主義に端を発していると言える。
調和を重んじる意識が前提にある中で、輪を乱すものに対し、異物を排除し、時に見せしめる。
この古来の風習をこれ以上割り切ることは出来るのか? それをして侮蔑する廃止派は
これをどう捉え、反論するのだろうか?
そのような意味も鑑みると、廃止派の思考理念は西洋文化圏、言い換えれば個人主義の結果をサンプルとし
理念を展開しているわけだが、これまで私自身がスレで廃止論者との議論?を交わした中では
行き着く部分の核心に帰着出来なかった。冒頭で話した「知性的かどうか」に代替されてしまう。
少なくとも、ここで廃止論者のすべき事は、個人主義に端を発した死刑廃止が、古来共同体主義へそのまま汎用し
どのような作用をもたらすかについて、確固たる効果的理由を立証しなければなならいのである。
これは人命がかかっている意味で、何に於いても必須なのである。