08/05/25 18:02:32 VCg5LITn0
死刑廃止論者には2つのパターンがある。
死刑廃止論者が死刑制度廃止を唱える理由の①のパターンは、
①「死刑制度廃止は絶対的に正しい、真理だ!」という感情的・感覚的なものが大前提としてあり、
「俺こそ真理を唱えているんだ!」という修正不可能な思い込みがある。
その思い込みの凄まじさが、被害者の存在を無視し、死刑制度は国家権力の暴走だと、
拡大解釈する行動に向かわせる。又、普通以上に自尊心が大きく存在し、その自尊心の大きさが、
通常の道徳観をも超える原動力となり、既存の道徳意識は彼らにとっては全く意味を成さない。
それよりも自分の感覚・思考を重視する。そのためバランス感覚が欠落している行動をとっても平気であり、なんとも思わない。
面白い事に、自尊心を傷つけられれば廃止論者は暴走する。自尊心を傷つけられる事を最も嫌う。
挙句の果てにはますますエスカレートし、そのキチガイじみた理屈が周りに不快感を抱かせるようになる。
そして孤立していく。始末の悪い事に、孤立すればするほど、自分こそ、素晴らしい人間だと、
余計に自分でそう思い込んでしまう傾向がある。病的ナルシストの側面を併せ持つ。
②このパターンも、主に元犯罪者や過去に警察に何らかの取調べを受けた者に多い。
犯罪を起しそうな人間や、過去に刑務所に入った人は死刑廃止論者となる。
常日頃から犯罪を考えている者も死刑廃止論者となる。自分の中に存在する犯罪性を、
肯定化しようとする心の動きが、死刑廃止論に向かわせる。
彼らにとって死刑廃止論とは犯罪肯定の道具であり、自分自身の肯定化なのである。
以上、2つのパターンの廃止論者が存在する。
そのプライドが、死刑廃止を唱える。少数派であればあるほど燃え、インテリ意識を持つ。