08/05/20 13:34:59 Q6LZMFwo0
現在のような科学捜査が発達している現状では、冤罪の起こる確率は限りなく0。
針の穴を通すくらいの小さな小さな冤罪確率があるからといって、すべての凶悪犯罪者から、
死刑の刑罰を取り去るのは言語道断である。冤罪を例に出し死刑廃止にもっていこうとする所は、
廃止論者の最大トリック。
廃止論者よ、そんなに犯罪者のことを考える暇があるならば、
もっと他の有益なことを考えよ。
ことごとく死刑廃止論者は着眼点がもうすでにおかしい。
100%犯罪者主観で生きていることに気づけ。
死刑廃止論者と死刑存置論者の言い合いは、たとえるなら「加害者」と「被害者」。
すなわち、廃止論者とは犯罪者であって、死刑存置論者は被害者。
もっといえば、「犯罪者主観」と「被害者主観」がある中で、死刑廃止論者は迷うことなく犯罪者主観を瞬時に選択する点を見ても、
自分自身の中に犯罪心理が相当にあることを示している。
自分が犯罪者になる可能性があるため余裕がなく、被害者のことより瞬時に犯罪者主観を選択してしまうのである。「自分が死刑になるのが怖い!等」
ただ一つ参考になるのは、犯罪者がこの社会をどのよう見ているか、犯罪者とはいったいどういう生き物なのか、を知るには、
死刑廃止論者の言い分を聞けばある程度は分かるという事。(犯罪者=死刑廃止論者)
死刑廃止論者の言い分は、死を恐れおののき、自分の犯罪性を環境のせいにし、
とにかくすべてを社会のせいにする自己中心的な特徴がある。他者への配慮や、
被害者を思う気持ち、犯罪を許さない意志などがほとんどゼロで、
犯罪肯定を一生懸命になってしようとしている。
なるほど、犯罪者は自分が死刑になりたくないから死刑廃止になる。死刑廃止論者もその根底には、
犯罪者と同じような精神状態が慢性的にあるといってもよい。