07/07/12 10:20:03 KwlS4Xo60
私は元和歌山市長の旅田卓宗です。
私は現在贈収賄事件と背任事件の刑事被告人であり7月2日控訴審でも有罪判決を受け直ちに上告しました。
全くの警察によって作られた犯罪であり、警察がマスコミを呷り作り上げた世論に迎合した推定有罪判決の冤罪です。
私の事件の内容には触れません。単なる私見と受け止められるからです。
ご承知の通り戦前の思想統制による自白偏重主義を反省し戦後、新刑事訴訟法が制定されました。
その理念の第一は証拠立証主義です。自白偏重の反省によるものです。
第二は「疑わしきは被告人の利益に」いわゆる「疑わしきは罰せず」の理念です。
第三は公判中心主義の理念です。
しかし現実はそれらの崇高な理念はスッカリ忘れられ公判の否認証言や物的証拠をおざなりにし、捜査段階の供述調書を裁判官が安易に信用し、推定有罪を連発しています。
推定無罪は許されても推定有罪はあってはならないことなのに、それが当たり前になっております。
裁判所の権威を裁判所自らが失墜せしめているのです。
富山県の冤罪事件などは真犯人が現れなければ冤罪被害者は終生犯罪者の汚名をかぶり続けねばならないところでした。
冤罪被害者の「時間を返せ!」の叫びは今も耳に残っています。
しかも驚いたことに控訴審もそうらしいが最高裁でも裁判官が調書を読むことはまれであり、
ほとんどは書記官が調書を読み判断し棄却決定していると聞きました。
最高裁は犯罪者を罰する使命だけでは無く、国民を守る最後の砦としての使命があるのに調書も読まず書記官任せとは言語道断です。
国民は最高裁の判事を最高に立派な法律家だと信じている心を裏切る行為です。
しかも厳正公正に判断すべきであり、捜査当局のように先入観に基づく色メガネをかけて判断するなどはあってはならないことですが
残念ながらそれが当たり前になっており推定有罪が連発されているのです。
その裁判官を裁く法律が無いのも不思議なことです。
密室の捜査規範に違反する連日の深夜に及ぶ取調べは知能犯的拷問以外なにものでもありません。
私は「貴方も明日突然犯罪者にされる怖さがあるのですよ」と世に訴え冤罪被害者を無くしたいと考え投稿を決意しました。