05/10/16 00:26:31
富士通は、半導体部門も抱き込んであの戦略的な性能と価格のFM8を
出したわけで、当時はなぜあの値段で出せるのか、理解できないと言う声も
あったくらい。同時期に出た、姉妹機のバブコム80が妥当な性能と価格だったらしい。
ここに横浜のテレビ屋さん部隊だけで寂しくやっていた日立と、ほぼ全社的に
戦略の一環として取り組んでいた富士通の差が出たんだろうね。
なにせ、FM8に至っては、当時の富士通の大看板、最大級大型コンピューターの
TTL端末としての周辺機器として、カタログに載っていたくらいだから。
それだけ社内的な期待と認知度も高かったんだと思う。
対して、日立の大型コンピューター部隊は徹底的にマイコンは馬鹿にしていたらしい。
その視野狭窄が、結果的、万年的にパソコンで他メーカーの後塵を拝する体質へと
繋がっていったんだと思う。まぁ、大型コンピューター部隊で馬鹿にしてたのは最終的に
窓際族になったから、いい気味なんだが。
16ビットへの移行の時にも、せっかく68000という良い材料を持っていながら、
不慣れな8086系に固執して、86系なら得意中の得意のNECにコテンパンにやっつけられた。
MB-16000は冗談みたいなマシンだった。性能は後続のN5200やPC-9801で徹底的に
他メーカー同様、叩き潰されたものの、凄かったのは、IBM-PCコンパチという点。
あの時代にIBM-PCコンパチ。逝っちゃってる。開発陣が最後に見せた、意地だったのかも。
コスト的な問題もあっただろうけど、あくまでも68000はEWS、パソコンにはもっての他、
と言う妙なプライドに縛られて、時代遅れのS1、イカれたMB-16000を出して、完全に自滅した。
実は、MB-S1は68008を載せる前提でハード設計がされていたそうな。
しかし、その計画も潰されてしまったらしい。そんなハイスペックなんて必要ないという理由で。
当時でのハイスペック戦略の正しさは皮肉にも、後日シャープのX68000で証明された。
後になって、気がついたときは後の祭り。
初めのうちは御三家と呼ばれていたにもかかわらず、そのチャンスと優位性を
活かしきれなかった。
パソコン事業は、日立の歴代の大失敗の一つだったと思う。