04/10/24 11:24:15
京都を中心とした長い歴史を持つ都市部の街路は、垂れ流しにされた糞尿で汚染さ
れていました。しかし糞尿が肥料として利用されるようになり、尿が商品となるに
いたって京都の町の辻つじに肥担桶(こえたご)が設置され、それが公衆トイレと
しても機能したのです。それは囲いも何もなくただ単に路上に置かれた桶でしたが
男性専用ではなく男女共用でした。
京の町では「富士山のような髪の生え際をした美しい容姿の女性が、富士山を背景
にした風光明媚な田子の浦で涼やかに佇んでいる」かのように肥担桶にまたがって
オシッコをしたのです。
ご婦人が町の通りで白昼堂々裾をめくって排尿する姿は決して異様なものでは
なかったのですが、そうした習慣のなかった江戸の男たちからすればセクシュアル
な想像を掻き立てられる格好の下ネタだったに違いありません。
ただ、女性の立ち小便は農村部に行けばもっと何でもないことで、男性同様田んぼ
の畦や町家塀に裾をまくってシャットしていたのです。