at 21OVERSEA
炉 - 暇つぶし2ch958:名無しさん@お腹いっぱい
09/05/16 05:21:39 vzf8GtLx
1991年10月に他界された、清岡純子(すみこ)先生が
1982年(昭和57年)10月から、ほぼ毎月、定期刊行物としてダイナミックセラーズから出版していた、
新書版の少女ヌード写真集で、定価は全て1000円でした。
プチトマト24号の典子(のりこ)。一応、現在は、裏物として扱われますので、
現物は、きれいなワレまで見える、無正です。

この時は、10才か11才くらいで、後に清美(きよみ)と名前を変えて、
プチトマト32号、34号、そして、発禁処分になった87年(昭和62年)1月発売の42号に登場し、
絶大な人気を誇っていました。


1977年(昭和52年)の「聖少女」を出版し、少女ヌードを何十冊も世に送り出しました。
ちなみに、プチトマト(Petitトマト)とは「可愛い少女」と言う意味で使っているそうです。
プチトマトの中で、1番人気のあったのは花咲まゆ(石川まゆ、白薔薇園パート2では、沢井 由美)
でしたが、1号から外人少女達を使ったり、表紙からワレメを見せていたり、
少女の可愛らしさと、神秘なるエロをうまく表現していたのは、女性カメラマンならではなのでしょうか。
ちなみに、少女の名前がコロコロ変わるのは、
清岡先生いわく、あんまり名字や名前にこだわらなかったからだそうです。
同じ女の子でも、成長しているので、雰囲気が変わっていたり
1

959:名無しさん@お腹いっぱい
09/05/16 05:22:48 vzf8GtLx
枚1枚が、興奮のショットでした。外撮りが多く、自然なワレの見せ方で、
ロリータ新法が施行されてもなお、少女愛好家の心を離さない、プチトマトシリーズ。
現在、数々の名作をお見せできないのは、本当に残念です。
42号が、発禁処分にならなければ、プチトマト43号が
発売されていたはずなんですが、発売はされませんでした。
43号は、1987年(昭和62年)2月の暮れに発売予定でした。
しかあああああああああああああし!
プチトマト43号は、現存します。その話は、別の機会に・・。
一応、43号の予告には、44号があり、岡本理絵(40号の表紙の少女)が登場するはずでした。
「別冊プチトマト クリスチーナ」
A4変型版で1984年(昭和59年)7月発行 1200円別冊プチトマト1~3号も忘れてはいけません。
修正版の「フレッシュプチトマト」シリーズも22号まであり、1988年(昭和63年)8月から
1990年(平成2年)頃まで続きました。



960:名無しさん@お腹いっぱい
09/05/16 05:23:59 vzf8GtLx
こちらの画像は、1986年(昭和61年)9月30日発行
ダイナミックセラーズから、限定2500部で定価15000円
だった「Petit Fresh」プチフレッシュです。
プチトマトシリーズでは、見せられなかった、陰毛がそのまんまのカットや、豪華本ならではの、
過激なカットも満載で、プレミア期には、30万以上の値段が
付いていても、品切れ状態だった箱入り豪華本。他にも、プチトマトシリーズの豪華本では
「プチ・レディー」や「マイ・ラブリー」などがありました。
プチトマトの歴史や、欧州チャイルドポルノなど、当時発売されたいたビデオや写真集、
アンダーグラウンドで出回っていた、援助交際物 や裏ビデオなどは、解説付きで
「少女コレクション」三和出版  に詳しく書いてありますの
カラーページが豊富で、現在販売されている合法的ロリビデオも紹介されています。


961:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 12:41:34 O1Gl66Vw
1966年11月に出た剣持加津夫の『ニンフェット・12歳の神話』 (ノーベル書房。のちにブロンズ社が
『エウロペ・12歳の神話』として再発刊) からだろう。正確に記すならば1970年2月に出た『デラッ
クス版・12歳の神話』ではじめて割れ目が世に出た。多絵という少女がモデルの、ほぼ全ページモノ
クロの写真集。撮影所が梅原龍三郎の別荘、監修は高峰秀子という、芸術作品としての立派なお膳立
てもあってか、一躍センセーショナルな存在となった。当時『少年ジャンプ』誌上で人気を博していた
永井豪の漫画『ハレンチ学園』にもこの写真集の話題が出てくる(なお『エウロペ』はパートIIも出
ているが一般的な評価は若干低い) 。続いて1973年12月に出た沢渡朔の『少女アリス』 (河出書房
新社)は、2003年に復刊されたこともあり、現在最も有名な少女写真集だろう(1991年にも復刊され
ている)。ヌード写真も数点あるが、大部分は物語「不思議な国のアリス」をモチーフにした幻想的な
写真が占める。モデルのサマンサは撮影時8歳。その6年後(14歳)に、沢渡朔はもう一度彼女をモデ
ルに『海からきた少女』という写真集を発表したが、『少女アリス』で作りあげた世界観には遠く及
ばなかった。少女という時期の魔法には二度は出会えないのである。




962:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 12:42:18 O1Gl66Vw
その後少女写真集の出版はしばらく間が空いた。未だ市場と呼べるほど開拓はなされていなかったから
だ。女性カメラマンによるものは、のちに『白薔薇園』『プチ・トマト』シリーズで有名になる、清岡
純子の『聖少女』シリーズ (フジアート出版/1977年?) があるが、「女性による写真は柔らかい」
と語る彼女の写真は、わざとボヤかした表現によるものが多く、シリーズの知名度とは裏腹に人気は
それほどでも無かったという。購買層が芸術という建前の裏で欲していたものが伺える。
他にも外国人によるもので、映画『思春の森』 (原題『Maladolescenza』/1977年)の主演女優エ
ヴァ・イオネスコの母親、イリナ・イオネスコの『妖のエロス(世界のベストヌ?ドシリ?ズ3)』 (
芳賀書店/1977年?)がある。娘のエヴァをモノクロームで撮ったもので、のちに「保護を必要とす
る子供をヌードモデルに起用した」として裁判にかけられた(イオネスコが勝った)。この頃の作品
を含む写真集には『バロックのエロス』(リブロポート/1988年)や『ELLE-MEME』(1996年/限定
120部)がある。だが70年代後半の、『12歳の神話』『少女アリス』の後に続くロリータブームは、
実は地下に移行していたのだ。先に挙げた『妖のエロス』を発売した芳賀書店の本店は神保町にあり、
ここは現在も続くアダルト書店の老舗として有名である。1976年頃には海外から輸入した多くのチャ
イルド・ポルノ雑誌が並び、ペドフィリアの拠点の一つであったという。中でも有名だったのは

963:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 12:44:01 O1Gl66Vw
『Nudist Moppets』(1976年/vol.2が翌年に出ている)で、スケパンや陰毛がどうしたと盛り上が
っていた時代に堂々と掲載されいた割れ目写真に想いをはせた……というマニアの証言が残っている。
その他の海外雑誌名だけ挙げておくと、『Children Love』、『Lollitots』、『Incest』、
『Lolita』、『school girls & boys』、『Skoleborn』、『Loving Children』、『Bambina Sex』
などがあり、そのほとんどはデンマークとオランダ産だった。特に過激だった児童との性交写真を主体
としたグラフ誌『Nymph Lover』は、のちに日本でもそれを模した『にんふらばぁジャパン』 (麻布
書店/創刊1985年6月) が登場するに至った (6号で廃刊) 。


964:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 13:12:42 O1Gl66Vw
このように日本でロリータへの潜在的需要が地下で着々と育っていた1979年、エポックメーキングな存
在となるロリータムックが登場するのであった。1979年、それまでの (外見だけでも) 芸術性を高め
た高価な少女写真集とは違う、ソフトカバーで1200円前後のムックが登場しはじめた。初のロリータ・
ムックは山本隆夫の『リトル・プリテンダー・小さなおすまし屋さんたち』 (ミリオン出版/1979年
1月) で、Hiromi・Yoko・Yukie・Yumiko・Mayumiの5人の少女 (全員11歳) をモデルにしたもの。
数万部売れたという。続いて出た石川洋司の『Les Petites Fees/ヨーロッパの小さな妖精たち』
(世文社/1979年11月)は、すでにポスター・カレンダーなどで活躍していた当時11歳の少女モデル・
ソフィをメインに、3歳から15歳までの外国人少女を起用したムックで、公称 60万部の大ヒット作品
となった。これらのヒットによってロリータ・ムックという出版形態がメジャーなものとなり、次々
と発売されることになる。中でも近藤昌良のデビュー作『リトルエンジェル・少女の詩』 (世文社
/1980年3月)は、出演モデルの一人・谷本重美がのちに女優・小川範子としてデビューしたことで
価格が跳ね上がった。同じような例では前場輝夫による『君はキラリ』(英知出版/1984年10月)
のモデル・諏訪野しおりが、新田まゆみとして芸能界にデビューしたことでプレミアがついた。
『ヨーロッパの小さな妖精たち』と『リトルエンジェル』、これに石川洋司による『戯れる少女たち』
(1980年後半)を加えると世文社ロリータ三部作となる。なお英知出版の『心のいろ』(1984年8月/
モデル織絵可南子)と『君はキラリ』、そして『不思議の国の少女』(1984年後半/モデル早見裕香/
『Beppin』85年1月号に記事あり)の三冊は英知三部作と言われる。


965:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 13:18:09 O1Gl66Vw
その他詳細は省くが、修正が入る前の時期 (1986年以前) のロリータムックとして有名な作品を挙
げておく(これ以外にもムックは多数ある)。
* 大舞地静樹の『白夜の少女・ティーナ』 (徳間書店/1980年9月/ノーカットで大股開きが載っている
ことで有名)
* 大山謙一郎の『ジュメール・双子の妖精』 (笠倉出版社/1980年9月/この頃から割れ目が鮮明になっ
てきた) ・
『ロリーポップ・砂糖菓子のような少女たち』(大亜出版/1980年11月)・『青い果実』 (壱番館書房
/1981年1月) ・『11歳の妖精』
* 会田我路の『少女』 (桃園書房/1980年11月) ・『ROMANCE・五人の少女の前奏曲』 (壱番館書房
/1981年4月
/第二判として通販で出た豪華本『partII』は修正が薄く陰唇がはみ出している)
* 清岡純子の『白薔薇園』 (大塚カラー出版部/1981年4・9月) シリーズ
* 大友正悦の『さとみ十才の神話』 (ズーム社/1983年1月)
* 近藤昌良の『風の中の少女』・『十二才の砂時計』 (群雄社/1983年1月) ・『ロリータアイドル・
みづき13才まだ愛はしらない』 (三和出版/1984年4月)
* 彩紋洋実の『倉橋のぞみ13才』 (三和出版/1986年11月)


966:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 13:19:12 O1Gl66Vw
通常モデルで分けるべきものをカメラマンで分けていることから想像がつくと思うが、この時期はあくま
で「カメラマンの作品集」という説明が隠れ蓑になっていた。送り手と受け手という区分けが守られてい
たのである。しかしそれは受け手である読者が同時に送り手になれる雑誌の投稿写真コーナーによって崩
れた。海外チャイルドポルノ誌が盛り上がっていた中、当時日本で唯一の少女専門誌として現れたのが19
79年創刊の『少女アリス』 (アリス出版) である[→少女アリスの小部屋]。この名前は前出の沢渡朔よ
る同名写真集から取られたもので、表紙にある「女子高生から少女へ」のコピーが80年代の興隆を予感さ
せる。1971年頃からアダルト雑誌の主流は何よりも看護婦・スチュワーデス・OLといった制服もの。特に
人気があったのがセーラー服で、30近い女性が平然と学生服を着てポーズをとってたというから恐ろしい
が、雑誌『少女アリス』はそうした安易な制服ブームへのアンチテーゼであったのかもしれない。その二
代目編集長を務めたのが「ロリコンブームの仕掛け人」と呼ばれる川本耕次であり、漫画家・吾妻ひでお
(後述)を『少女アリス』に起用し、『ロリコン大全集』を編集した張本人であるが、.........

967:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 13:59:07 KFsUpwHn
ロリコン雑誌は1982年のロリコンブームによって爆発的に増えることになる。百夜書房の『Hey! Buddy!』
(創刊1980年7月号(発売5月)/廃刊1985年11月号)は当初はありふれたエロ本だったが、82年にロリー
タ総合情報誌として生まれ変わり、“若者よ!写真集を捨て、カメラを持って街に出よ!”を合言葉に「少
女いたずら写真コーナー」という投稿コーナーが盛り上がった、今見ると(当時も?)立派な犯罪雑誌である。
最盛期は8万部。のちに全国から送られた3年分7万2千枚の写真から再編集した『ロリータ・スナイパー』
(1984年)という本も発売された。また同じ白夜書房の『写真時代』にも82年から荒木“アラーキー”経惟の
「少女フレンド」という少女をモデルにした写真連載が行われた。この連載はあとで『少女世界』(1984年5月)
と『少女物語』(1988年/改訂版が太田出版から1990年10月に出た)の二冊の写真集にまとめられた。
モデルに人気少女モデルが登場することも少なくなく、82年3月号ではロリータビデオの傑作『あゆみ11歳・
小さな誘惑』のモデル・あゆみが出ている。また同年 7月号に登場したピコ(武見あゆみ/当時小学生低学年)
の人気は凄まじく、82年を代表するロリータモデルであり、彼女がモデルのムック『アデュー』『妖精少女』
(共に竜書房)もヒットした。『Hey! Buddy』誌82年11月号ではピコの緊縛写真が掲載されている。想像で
きるだろうか、小学生低学年の少女が縛られた写真が載った雑誌が、普通に書店で売られていたのだ。


968:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 14:00:43 KFsUpwHn
『Hey! Buddy』と並んで語られるロリータ専門誌である『プチトマト』(K.K.ダイナミックセラーズ)
の創刊も1982年である。毎月一冊少女写真集を出すという異例のシリーズで、他の雑誌と比較して芸術性が前面に出され
(あくまで「他と比較して」だが)、清岡純子撮影による少女をモデルにした写真が並び、そこに清岡による解説が加え
られる。解説はこんな感じだ。「顔と体だけではなく彼女の心と肉体も危ういバランスを保っているようだ。そこがまさ
にこの年齢の少女の魅力である」。清岡は単純に少女に魅せられて芸術写真を撮っていたのかもしれないが、読者はそう
でもなかった。この雑誌によく登場していたモデル・花咲まゆの『私は「まゆ」13歳』(フジアート出版)は人気が高く、
現在もファンが多い[→まゆちゃんへの伝言板]。他にも通販やアダルト専門店で1500?円前後で売られた
雑誌には、『少女トピア』(草艶書林/1982年4月)、アリスクラブとは関係ない少女愛専門誌『ありす』 (群雄社/
1982年11月)、ロリータLOVE専門誌『みるく』 (花神社/1983年3月) 、ほぼ無修正のロリコン・マガジン『CANDY』
(JOY企画/1983年11月) 、少女愛好専門誌『リトル・クローバー』 (若葉出版/1984年6月) 、『SMマニア』増刊
でのちに『ロリくらぶ』となる『ロリコン・ハウス』 (三和出版/1984年6月) 、『さくらんぼ』 (桜桃書房/
創刊1985年1月) 、先に挙げた『にんふらばぁジャパン』 、『女子中学生解剖図鑑』(桜桃書房/時期不明/全5冊)、
『CANDY POT』 (さーくる社/時期不明) 、幼女雑誌『少女りぼん』(詳細不明)、『ぽにーてーる』(詳細不明)
などがある。

969:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 14:02:14 KFsUpwHn
これらの雑誌(ビニ本以外)はどれも投稿写真コーナーが盛り上がっていた。公園で遊んでいる少女に
パンツを脱いで貰ったり、池で遊んでいる少女を盗撮したり、他にも海にプールに運動会と、様々な舞
台で少女は(ほとんど勝手に)撮影された。しかし盛り上がりすぎたアダルト産業は規制されるのが世
の常である。その最初の波は1985年に起こった。
ロリコン黄金時代は終焉を迎えようとしていた。契機となったのはおそらく『少女写真・観』(ミリオ
ン出版/1985年4月)にまつわる事件である。かいつまんで説明すると、このムックは当初『さっちゃ
ん』という名前で出る予定だったのだが、サイパン島での撮影中に現地の警察に連行され、そのまま罰
金と退国命令が出てしまう。その経緯を朝日新聞が「少女ポルノ写真撮影 邦人四人を追放サイパンで
判決」(85年1月26日朝刊23面)と扇情的に取り上げたのである。『少女写真・観』についた「未完成
写真集『さっちゃん』とサイパン島撮影<追放>問題について」という副題はそういうことで、この事
件によって世間的に「割れ目も性器である」という認識のされ方がなされたのか、それとも「割れ目は
性器」と皆が思っていたから「少女ポルノ」と書かれたのかは判らないが、これが後から始まる本格的
な規制の布石となっていることは想像に難くない。カメラマンが『リトルプリテンダー』の山本隆夫だ
というのも運命的である。ミリオン出版はこれを最後にロリータムックから手を引いた。


970:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 14:58:46 KFsUpwHn
白夜書房もロリコンから一旦手を引く。『Hey! Buddy』増刊として出た、1985年9月15日発行の『ロリコンランドVIII』
が発禁となった。つまり「割れ目は猥褻」という当局のお墨付きが出たという意味である。これを受けてロリコン文化の
中心となっていた『Hey! Buddy』は同年11月号で廃刊。高桑編集長の最後の言葉は「ロリコン=ワレメでワレメが見え
ないロリコン雑誌はもはやロリコン雑誌ではありません」だった。
この後に出た少女写真集・ムックのほとんどは修正が入った。以前に出ていたものも版を変え修正された。そして1987年、
“少女=芸術”の最後の牙城であった『プチトマト』42号の摘発がなされ、ロリコンブームは終焉を告げた。ここまでが
第一期である。中心舞台となっていた雑誌が消えたことで受難の時代がやってくる。とりあえず割れ目さえ出ていなけれ
ば少女をモデルに撮影しても(まだ)特に問題はなかったので、『プチトマト』は『フレッシュ・プチトマト』と名前を
変えて1988年夏に再出発した。『ビデオ・プチ・トマト』という映像シリーズも始めた。三和出版の『ロリコンハウス』
も『ロリくらぶ』と名前を変えた。

この時期、ロリータと入れ替わるように盛り上がりはじめたのがハイティーン(16?歳)だった。『すっぴん』
(英知出版/1986年6月)や『オトメクラブ』(白夜書房/1986年2月?創刊)に代表されるような女子高校生ブームの
再来である。このうち『オトメクラブ』の方は割合ロリータネタが頻出していたので、ロリータからティーンへの移行に
一役買ったのかもしれない。布石となったのは1985年から出はじめたそれまでより少し年齢層を上げた14?歳
の少女を被写体にしたムックの登場だろう。例えば『初夏14歳』(白夜書房/1985年6月)ではモデル山口初夏の陰毛が
剃ってある。この独特のエロスが思ったよりも受け入れられたようだ。



971:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 15:00:07 KFsUpwHn
しかしそれでは満足できない人々は、老舗ロリータショップ「ペペ」や「ロリポップ」等専門店
で販売されていたさーくる社の写真集や、ランド企画やミミ、MMC テクノなどのショップオリジ
ナルのビデオ作品にシフトしていった。そのほとんどが無修正だったからだ。こうして一般書店
から専門店へと舞台を変え、ロリコンは再び地下へ移行していく。以下は80年代後半から1998年
までに発売された主要ビデオ作品のシリーズ名である。細かいリリース日等はすべて不明(順番
は『アリスクラブ公式ビデオガイド 画面王』(1997)の掲載順に従った)。[→アリス盗撮ビデ
オガイド 画面大王]

* ペペ 『少女着替える』『少女アクション』『アクションパンツ』
* ランド企画 『盗撮!少女着替え』『温泉盗撮少女』『水辺の妖精たち』『盗撮画王少女倶楽部』
『ドキュメント画王』『ぷにぷにコレクション』『エンゼルバンド』
* ミミ 『下からゴメンネ』『盗撮小僧』
* HAL 『少女大図鑑』『夏色天使』『ブルマ狂騒』『純白木綿陰部地帯』
* R&S 『ロリータ盗撮の鬼』
* MMCテクノ 『桃色の幼性』
* 渋谷映像企画 『少女盗撮天国』
* コージ通販 『スナイパー盗撮ZOOM』
* エフワン 『盗撮ロリータ』


972:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 15:02:14 KFsUpwHn
1988年12月に白夜書房(のちに子会社のコアマガジン)からロリコン第二期のバイブルとなる『Alice
Club(アリスクラブ)』が創刊された。そこには『Hey! Buddy』よりヌル目の、ローティーンの少女
の修正されたヌード写真が掲載されていた。しかし『Alice Club』の本質は新作よりも過去に出た写
真集やムックの再評価にある。毎号“伝説”のモデルやロリータムックを紹介し、ロリコンを体制から
迫害された、歴史ある一大文化に仕立て上げたのだ。ショップ売りビデオの細かな紹介や、「うっかり」
修正するスミベタの位置を間違えて割れ目が見え隠れしがちだった写真も好評だった。『Hey! Buddy』
『プチトマト』がすでに過去のものとなった時代に、ロリコンの血を絶やさぬよう新たなファンを開拓
し続けたことが『Alice Club』の功だとすれば、その再評価ブームによって古本屋でつり上がっていく
過去作品の値段が罪だった。だが『Alice Club』創刊後ほどなくして日本人の少女をモデルにすること
は出来なくなった。児童福祉法「満15歳に満たない児童に対し、道路その他の場所で歌謡、遊芸を業務
としてさせる行為、酒席に侍する行為を業務としてさせる行為を禁ずることにより、児童を有害な行為
から保護」の、「有害な行為」にヌードモデルが該当することになったからだ。抜け道は外国となる。
日本人の少女じゃなければいいのだという解釈のもと撮影はアジア、特にフィリピンやタイで現地少女
を見つけて行われることが普通になった。例えば1994年頃に『Alice Club』で大推薦され、インター
ネットでもよく話題にのぼる西村理香も、日本人ではなくタイ人である。彼女らの笑顔の裏には途上国
の貧困があるのだ。


973:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 16:40:41 Hb/vAH2V
『ロリくらぶ』が宮崎勤事件の余波を受けて休刊した後、しばらく『Alice Club』一誌だけの空白期間
が続くが、90年代中期にはブルセラと女子高生ブームの煽りを受けてか、ぽつりぽつりと雑誌が出始め
た。現役女子中学生アイドルマガジン『プチミルク』(少年出版社/1994年5月)、食べ頃ローティー
ンMARUかじりマガジン『リトルリップス』(東京三世社/1995年7 月)、清純美少女&ピュアアイドル
マガジン『スウィート・ローティーン』(黒田出版興文社/1995年4月/リニューアル1998年10月)
などだ。ただ、このうち『プチミルク』と『スウィート・ローティーン』は露出も水着程度のチャイドル
・ジュニアアイドルを中心とした雑誌で、ロリコン誌というよりアイドル雑誌なのだが、ロリコンが一方
でアンダーグラウンドな方面に向かう中で、メジャー路線ではアイドルへ移っていった分岐の時期がちょ
うどこの頃、という意味で記載した。
1996年頃からインターネットが普及し、画像データのやり取りが非常に簡易になったことで、ロリコン
は再び活性化した。ウェブサイトは当然のこと、ニューズグループにメールマガジン、P2Pソフトを駆
使して、80年代に出回った無修正時代の写真集・ビデオのほとんどがネット上に流れた。
こうした中、日本はチャイルドポルノの発信地となっているという国際的な批判を受け、1999年11月1日
に「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(児童買春、児童ポルノ
禁止法)」が施行され、18歳未満の児童のヌード写真等は中古・新品に限らず公に販売・頒布することは
出来なくなった。『Alice Club』はそれに先駆けて8月11日で休刊(1999年9月号)、専門店ペペも10月
31日に最後の大フィーバーを迎えた後、18歳未満の商品は(表向きは)店頭から消した。第二期はここ
で終了する(第三期ブームは来るのだろうか?)。今後の焦点は「単純所持がいつ違法になるか」という
点だろう。



974:名無しさん@お腹いっぱい
09/06/06 16:41:56 Hb/vAH2V
最近のメジャーな状況を見るに、18歳以上のモデルをいかに18歳以下に見せるか、
という方向性に移っているようだ。それはたとえば陰毛を剃り下着の食い込みで
割れ目を表現した“パイパン”誌に表れている。例えば三和出版の一連の出版物、
往年の倉橋のぞみをフィーチャーした『裏アリス』(2002年 11月)や『少女無
毛恥帯』(2003年11月)、グラビアに西村理香を持ってきた『少女公論』
(2004年5月)などがそうだ。マイウェイ出版の『パイパン聖少女』もエグい。
他にも多数あるが詳しくは専門店にでも行って貰いたい。



975:
09/06/17 02:30:26 09K+nTtC
test

976:
09/06/22 09:35:45 13yS1hQ9
[@misty] 小倉優子Yuko Ogura Vol.01 53P
URLリンク(www.av-girl.info)


977:名無しさん@お腹いっぱい。
09/07/03 22:58:45 2TGGl3Qk
そろそろ炉って言葉も変えないか?

例えば火戸とか、FireDoorとか。。口リ、□り

色々あるだろ

978:名無しさん@お腹いっぱい。
09/07/10 14:50:51 vQLcUMlG
>>972
>だが『Alice Club』創刊後ほどなくして日本人の少女をモデルに
>することは出来なくなった。

98年に出たレオナは?


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