07/01/26 21:21:48 PilERO/L
創価学会にずっといたいならそれはそれでいいと思う。
お題目あげるのも結構だし、「前へ前へ」の実践だっていいと思う。
世界平和を願ってるのも結構だし、自分が世の中に役に立ちたいっていうなら
それでいいと思う。
さて、じゃあ、改めて問いたいけど
「創価学会じゃなくてもいいんじゃないの?」って事だ。
オレが思うに、学会員の人っていうのはある種の目立ちたがりやが多いと思う。
ビッグである事は、支持者が多いということで、それはいいことなんだ!
って考える人が非常に多いと思う。
学会の教義ウンヌンじゃなくて、単純に支持者が多いから「すごい団体だなあ」
と思ってそれに惚れてしまっている人が多いような気がする。
お題目を何百回もとなえると願いがかなうっていうのは、オレの解釈だと
お題目のせいでも、創価学会のせいでも、池田センセーのせいでもなんでもなくて
それだけ唱えることで意識が明確になって、より目的がはっきりし、
気持ちも奮い立つからだと思う。
そう考えるとお題目をとなえることを利用するのは大いにアリだって話にもなるがw、
だからといって、創価学会バンザイってわけじゃあないはずだ。
イメージの力というか、潜在意識あるいはもっと先の深層意識にまで「想念」というのを
持っていくのに「お題目のようなものを何百回を唱える」というのは効果的って話なんだと
思う。ましてや創価マンセー状態ならばかなり題目を唱える時に集中も出来るわけでw、
自然と意識に「思い」が焼きつくのだと思う。
なんだか創価マンセー状態の書き込みだけどw、オレが言いたいのはそうじゃなくて、
単にそういう原理になってるに過ぎないよって事。別に念仏なりお題目なり唱えなくたって
その手のイメージトレーニングの方法はいくらでもある。