06/04/28 09:02:18 /pwxPh1p
550 :名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2006/04/27(木) 00:19:43 ID:pm86z1pE0
「景観を守る」といえば聞こえは良いですが、
実態は改革しようとする意欲や熱意がないだけだと思います。
そもそも景観は守るものではなく、人々によって語られることによって生まれてくるものだと思います。
100年前に建てられたときには景観破壊と言われた街並みでも、それが街の中での地位を確立し、
人々のイメージの中に溶け込んでいけば、それは立派な街の景観になります。
そして建てられたときは景観破壊と言われたような街並みでも、
それが取り壊される後世の時代になれば「街のシンボルを壊すな」
「この街を永く見守ってきた歴史ある建物を壊すな」
「高層化は景観破壊だ」と、反対する人たちが出てきます。
そもそも長く見慣れた街並みにどうしても愛着があるので、
それが時代にそぐわないものであっても、変わることに違和感を覚え、残ってほしいと思うものです。
でも新しく生まれてきた若い世代にとっては、
それは時代遅れの街並みにしか映らず、必ずしも魅力的とは限りません。
そして愛着を持った世代が成仏してしまえば、それは次の世代の人々には見向きもされなくなり、
ただの老朽化した汚い街並みに過ぎなくなります。
過去にこだわるだけでは、新しい世代の人々には受け入れられないと思います。
人間はどんどん世代交代するわけですから、それに乗り遅れた街は衰退します。
その衰退を逆説的な視点でプラスに考えて、京都のようなコンセプトで生き残る道はありますが、はたしてそれだけで良いのか疑問です。