06/09/13 23:15:41
左からの「格差社会」批判、右からの「ニート」批判、どちらも根っこは一緒。
戦後民主主義的「一億総中流」の鋳型に嵌めることを懐かしんでいるだけ。
そしてこれを盛んに問題視しているのは、「一億総中流」のほうが
マーケティング的に都合の良い、旧来型の一方通行の情報媒体であるマスゴミであり、
それを牛耳っているのが高水準の年金を維持してほしい「団塊の世代」である。
「格差社会で安心して子供を産み育てられないから少子化が進む」とか、
「若者がニートになるのは根性がないからだ」といった精神論の根本は、団塊の世代の
年金を維持するために税金を納めてもらわないと困るから、という手前勝手な論理に過ぎない。
「ニートが親が死んだら、将来は税金を食いつぶす寄生虫になるじゃないか」という批判もある。
しかし、これまでの費用対効果を度外視した公共事業や公務員雇用、さらに規制に温存された
各種の衰退産業などは、コンクリートや書類などを媒介とした(さしずめ換金用のパチンコ玉)、
高水準での「生活保護」と言える。これらに比べれば、ニート用に生活保護を提供することは、
政府が無理矢理働かせるよりもトータルコストとしては安上がりだ。働く意志のない、
また能力的にも劣る者を労働市場から円満に排除できるという点では、業務効率の向上にも資する。
機械化によって生産性が向上した現代社会では、衣食住など人間の基本的欲求を満たすための
労働力はわずかで足りる。ニートの放置は、一種の「国内棄民」として考えて良いのではないか?