06/08/11 05:50:58
武田信玄の時代ならともかく、現代のように高度な土地利用がなされている状況で、遊水地や拡幅など
生産性の高い土地を不毛の地に変える方策ってのは、ダム以上に時間がかかって困難なんだよね。
治水の二義的な目的は、洪水予想地の安全を有る程度確保することで地内の収益性や生産性の向上や、
高度な土地活用や、土地利用の自由度を高めることを可能にすること。
他に選択肢が有る場合、常識というか、分別が付くというか、まあ、通常の感覚を持ってさえいれば、地内の
収益性、生産性、土地利用の自由度などを制限する方策(すなわち遊水地など)を、わざわざ採用すること
はあり得ない。
そのような治水を選択する河川管理者は、治水というものの目的を全く理解してないとも言える。
当然、どの様な方策を用いても、その施工に伴って利害関係が生じるから、反対する人は必ずでてくる。
それが堤防の嵩上げでも、ダムでも、河道の拡幅でも。
137の理屈だと、ダム案と同様に、遊水地に反対する人がでてきた時点で、河川管理者はその案を捨てな
ければならなくなる。
堤防嵩上げ案に反対する人がでれば、拡幅案に反対する人がでれば・・・
こんな河川管理者がトップにいれば、そもそも治水なんてできない。
浅川のダム案は、このような社会常識を前提として、遊水地といういわゆる最悪の手段を行使しないが
ために、細心かつ綿密な調査を行って何とか成立した案。
ダムが嫌いだとか好きだとか、土建屋利権だとか、そういう馬鹿しか推察できないようなレベルで、
浅川にダム案が成立した訳では無いことを、137は理解する必要があるだろうな。
通常、本当に代替案が有れば2年くらいで基本計画提示できるのに、田中前知事はこの6年間、
浅川や砥川の合理的な治水案を一度も提示できなかったの何故か?
これも併せて考えてほしい。