06/11/27 18:39:19 cOhFPPEO
ムカッときて書いてしまった。
投稿と直接関係ないうえに、長文でスマン。
>>635
元記事に『私たちが日本軍の軍属として「徴用」され、朝鮮半島から南方各地に派遣されたのは42年の夏
だった。』って書いてある時点で従軍慰安婦と同じパターンだと思う。
徴用も徴兵も44年から。それ以前は労働は官斡旋、兵隊は志願制。
共に募集の形態を取っていたはずだが。
ちなみに日本軍の捕虜虐待と前線の軍規の乱れは朝鮮兵が参戦した42年後半から急激に悪化している。
日本軍もかなり手を焼いていたらしい。
ソース:朝鮮軍司令部1904~1945
URLリンク(www.amazon.co.jp)
朝鮮兵は、入営が昭和19年の秋以降にずれ込んだために、本土と朝鮮防衛の部隊に入り、南方の戦地で死んだ者は日本兵に比して多くはなかった。
既に船舶が底をついて、海外には送り難かったのだ。初めて管理する朝鮮兵の扱いについて陸軍は通達を出し、細部まで注意事項の厳守を求めている。
特に目を引く項目は次の如くである。
一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭を叩いてはいけない。怨みを持って復讐することが気質があり、脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。
朝鮮人は李朝末期以後、神に近い特権を持った白人を見た歴史をもっていたが、ここに来て、心理的にも白人崇拝の観念は消えたらしい。
消えたのはいいのだが、困ったことも起きて戦後まで尾を引いている。東南アジアから朝鮮まで捕虜収容所の警備員として朝鮮人3千5百人が従事していた。
弱者に残虐性を発揮する民族性の故か、軽蔑ついでに相当な白人苛めを隠れてやっていたらしい。敗戦後、個人的怨みで戦犯に問われ、死刑その他の重刑を受けた者が少なくない。
白人こそ報復と復讐の大家だったのだから。