06/09/21 18:50:55 6Jx5Sc+O
>>345
「・・・・・・お灸が足りないやうだ」のくだりについて、取材班がその意図をただすと、中村は「(自分がそう思ったのではなく)赤報隊がお灸をすえるつもりだったかもしれないと客観的に叙述しただけだ」と述べた。(朝日新聞「一五年目の報告」)
「客観的に述べただけ」というのは、嘘と誰でもわかる。
「朝日新聞の売国的偏向報道の累積が銃撃事件の引き鉄になったと、因果関係を示唆したに止まる」(『正論』(2001年10月号)
「お灸がたりないやうだ」が、「因果関係を示唆」だろうか。これも嘘である。
「かつて朝日は銃弾を撃ち込まれ、その後暫くは大人しくしていたやうだが、昨今の朝日の旁若無人とも思へる偏向紙面を見ると、まだお灸が足りないやうだ」(原文のまま)
これは、著者の意見である。
なぜ嘘をついたのか。
この文章を書いたのは、大学の先生という。
『正論』編集部は、「誤解を招く表現だった」とし、「おわび」を掲載している。
どう「誤解」を招くのか。どう読んでも、著者が「お灸が足りないやうだ」と考えて
いるとしか取れない。つまり、著者は朝日新聞にお灸(銃撃)が不足と考えている。
「お灸が足りない」→過去にお灸をしたことになる。
『正論』は、赤報隊と疑がわれる著者の文章を掲載していることになる、とんでもない事実が起きている。
もっとこのことを問題にすべきだ。