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【社説】2005年10月18日(火曜日)付
■靖国参拝 負の遺産が残った
小泉首相はどんな気持ちで手を合わせたのだろう。信念は通したものの、自分に課せられた重
い役割にどれだけ思いをはせていたのか。
靖国神社に参拝する首相の姿を見ているうちに、そんな思いに包まれた。
中国や韓国の反発をはじめ、国際社会の厳しい視線。9月末に示されたばかりの大阪高裁の違
憲判断。割れる国内世論。すべてを押し切っての参拝だった。
首相は参拝後、記者団に「日中、日韓友好、アジア重視の姿勢は変わらない。よく説明してい
きたい」と語った。かねて「適切に判断する」と言い続けてきたが、何をどう適切に判断したの
か、意を尽くした説明はなかった。
首相なりに配慮はしたのだろう。礼服や紋付きはかまではなく、背広姿でさい銭箱に歩み寄り、
ポケットからお金を取り出して投げ入れた。本殿には上がらず、記帳もしなかった。
「私的な参拝」を演出したのは、高裁の違憲判断を意識すると同時に、中韓の反発を和らげる
狙いがあっだようだ。だが、これだけ行くか行かないかが国内外で注目される事態になった以上、
形式を変えだところで大きな違いはなかろう。
形式にこだわらないというなら、もう一歩進めて、日本外交の大きな視点から参律を見送るべ
きだった。
首相のたび重なる参拝の結果として、靖国神社の展示施設である遊就館に代表される歴史観は、
海外にも紹介されるようになった。あの戦争を「自存自衛のための戦い」とし、今もそうした過
去を正当化している。
そんな歴史観を持ち、A級戦犯の分祀(ぶんし)を拒んでいる神社に、首相が反対を押し切っ
て公然と参拝する。背広姿ではあってもその映像は世界に伝えられ、「歴史を反省しない国」と
いうイメージが再生産されていく。
首相は国を代表する存在だ。その行動が政治的な意味を持つ時、いくら私的と釈明したところ
で通用しないだろう。
まして国内では、司法の判断や世論が分かれている。戦没者をどう弔うかという、国家にとっ
て重要な課題で対立があるなら、一方の立場をとるのではなく、より多くの人が納得できるあり
方を模索するのが政治指導者の役割ではないか。