06/06/08 20:31:25
薩長軍に利用された市民
鳥羽伏見の戦いで、慶喜が大坂城を脱出した後、薩長軍は大阪城に乗り込んだのだが
城内には入らなかった。それは、薩長軍は城内に地雷が仕掛けられていることを知っていたからである。
そこで、『大坂城内には誰でも入れる。こういう時でないと見学はできない』
というような内容のお触れ書きを大坂市民に出した。
そこで、物見高い者達は城内にくりこみ、物品を強奪したが、薩長軍はそれをとがめようとはしなかった。
そうこうしているうちに、地雷が爆発して大勢の人が死んだ。
それを見た薩長兵達は大阪城への入城を禁止し、奪った品物を返せと布告した。
結局、地雷の瀬踏みのために大坂市民が利用されただけだった。
味方の将兵を見捨てた慶喜も酷いが、市民の命を利用した
薩長もけっこう酷いものがあるような・・・。