05/02/25 23:14:51
1952年に入信し、本部壮年長や教学部教授を務めた後呂雅巳氏の体験談です。
「昔は選ばれた限られた人だけしか財務の出来る財務部員(広布部員)になれなかった。
今のように何でも金、金、金、になってしまったのは、池田が第三代会長に就任して以降、
さらに言えば、大石寺の正本堂建立がきっかけでした。
1965年に池田が行った大石寺の正本堂建立御供養という資金集めで、学会は目標の十倍
以上の355億円を集めてしまいました。
池田は、全国規模の供養について、“将来は一切、いたしません”と言って
いたのに、これに味をしめて以後、次々と金集めを行うようになったんです。
正本堂完成の二年後には、特別財務をやり、やがて会員のことごとくが財務
部員になることができるようになり、“財務をやれば福運がつく”と会員は煽られ、
各支部で集金を競いました。私も経済的に余裕が出てからは毎年100万円単位
の財務をやるようになりましたよ。座談会などで、財務が多いほど功徳があり、
福運がつくと説かれ、体験談や決意が発表されます。
財務の時の会館は凄かった。入り口から入ると、二列に幹部が並んでいてその間
を歩いて行って、お金を出し、領収書をもらうんです。とても小額を出せる雰囲
気ではありません。
今はこれが銀行振込ですが、銀行に振込む浄財なんてあるんでしょうか。
私には、創価学会がただお金を集めるのが目的という団体になってしまったよう
な気がします」
財務で煽られ、借金に追われた学会員が起こした悲劇的事件は数多いです。