06/12/09 20:10:29 Z2zzPRLK
>>610
これが、実に変といいますか、不思議なんですが、
平安時代の大方の行事で、女性は身分が高いほど軽装なんですね。
もちろん、立后などの、その女性が中心になる行事では、
俗にいう十二単、女房装束に近いような衣装を着たわけなんですが、
通常は、女房の方がずらりとフルセットの正装で並び、
后など、身分が高い女性は、唐衣 も裳もつけません。
さらに、>>612氏のおっしゃるように、
幾枚も重ねた正装をするのは行事のときのみ。
(必ずしも12枚ときまっていたわけではありません)
URLリンク(www.bb.em-net.ne.jp)
ここらあたりが、かなり正確に書いているようですが、
衣の重さは、当時の絹が非常に軽いものであったらしいので
ある程度は、軽減されるようです。
それとどうも、衣装の形を整える打衣は、早くても平安末、
院政期からではなかったかと思われます。
それまでの衣装は、男女ともに萎え装束と呼ばれ、現在再現されているような
糊がきいて、形がぴしっとしたものではなかったんです。