06/03/10 00:31:57 IvqE+jdy
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官製朝鮮学校沿革史を発見 明石・元教員が保存
明石朝鮮初級学校(明石市立石1)の前身が、1949年の日本政府による朝鮮学校閉鎖令で
明石市立林小学校・船上(ふなげ)分校とされた15年間を記録した学校沿革史が、5日までに
同市内で見つかった。いわば「官製朝鮮学校」の記録で、日本当局とのあつれきを示した
生々しい記述もある。閉鎖令で公立学校の分校とされた朝鮮学校の沿革史は、全国的にも
珍しいという。(坂本 勝)
沿革史は予算、職員組織や学級編成、児童数の変遷などを記した資料で、一部に行事、
出来事の記述がある。同市内の元教員(65)が、関係者から譲り受け保存していた。
それによると、同分校は、市と明石朝鮮人小学校育友会の覚書を基に「明石市及び近住
朝鮮人学童の希望者を収容」し、五一年に創立。朝鮮人の講師二人以外は、校長をはじめ
七人の教師が日本人だった。五六年度に最多の百九十人が在籍。閉校前の六五年度は
八十七人に減った。
日本側との摩擦を示す記述もある。
「夕方明石市警六十名程容疑者捜索に来校したため市警と朝鮮人との間に悶着(もんちゃく)
を起す」(五一年九月八日)。「衣笠学務課長視察に来校用談中高学年児童多数が課長を
取囲み種々の要求を出し即答を求め約三時間吊上げる」(五二年六月二十四日)―。
五五年に在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が結成され、民族教育の自主性を守る運動を
展開。六六年四月、同分校も自主学校の認可を得て、明石朝鮮初級学校として復活した。
五八年に分校を卒業した朝鮮総連明石支部の金南圭(キムナンギユ)常任顧問(60)は
「ツベルクリンの予防接種が分校には来ず、本校まで行った。民族教育を守るため、
一世たちが闘ったから、今の朝鮮学校がある」と振り返る。
「在日朝鮮人民族教育の原点」などの著書がある兵庫朝鮮関係研究会の金慶海(キムギヨンへ)
さん(68)は「民族教育を守ろうとした軌跡を示す貴重な資料」と話している。