06/03/01 22:34:19 6/Gx0Nbp
>>814の続き
宇垣総督は長い声明文を読み、その中で朝鮮の成立と行政について述べた。
また、朝鮮の住人は元々満州からきたものであること、近年朝鮮人が満州に
移住した事を語り、朝鮮人が前政権下の満州で酷い扱いを受けたため、これを
解決する必要が有った事を指摘した。彼の声明文の中で満州国と言う言葉が
一度も出てこなかったことは注目すべきである。
ソウルの街路は広かった。しかし両側の家屋は中国の家屋の様に、殆どが丈の低い
平屋ばかりであった。家の前やドアや雨戸の辺りに大勢の朝鮮人が立っていた。
彼らの衣服を度外視すれば、欧米人は個々の朝鮮人を日本人や中国人と区別する事は困難である。
それでも全体としての朝鮮人は日本人や中国人とまったく違った印象を受けた。
何処に違いがあるかは、ハッキリとは言えないが
朝鮮人はモンゴル人種系であり、黒色のこわい毛髪をしているにも係わらず、彼らは
日中両国民一般よりは、欧州人的なところがあった。顔つきや態度に示される彼らの全体の感じは
ヨーロッパの労働者街でそのままそっくり見出す事が出来る。これに対し中国の街頭にいる
愛想のよい、好奇心に満ちた男女や子供を見てもこんな考えは起きない。愛想はよく
礼儀正しいけれども控えめな、日本人の態度もまったく別物である。
朝鮮人の衣服では白が圧倒的に有力である。男は踝のところで紐を結ぶ白いひだのついた
ズボンをはき、労働するときは時には膝までしかないたるんだ白ズボン姿であった。
上着も白かった。労働者は短い上着、貴人は花の様に白い丈の長い和服の様な上着を着ていた。
特に注意をひくのは、前にも述べた円筒形の帽子である。私はただ既婚者だけがこの帽子を
かぶると聞いたが、こうしたスタイルは流行遅れになっていた。
よく言われる朝鮮人の衣服はやはり白であるのは、間違いない様ですな
なにせこの時代のドイツ人は日本に対して良い感じは、持っていない様ですし
この翻訳者も述べてましたが、中立的な立場で見ているようです。
まだまだ続きます。