06/02/28 22:53:24 7xcu9qxW
>>813の続き
ドイツはソウルに領事館を置いていなかった。日本が朝鮮を占領し、1910年
朝鮮を併合して以来、ドイツの商業特に商社の地位は転落した。それ以前には
多額の物資が、朝鮮にあった多くのドイツ商社の手を経て動いていたが、次第に
日本商社が商業全体を占有するようになった。
奉天でも聞いたが、船舶輸送に係わるドイツ商社だけは一部残っていた。また
イギリス人によると、ソウル在住のイギリス人も著しく数が減ったと言う。門戸開放は
口先だけの事で、ある国の人は皮肉たっぷりに"門戸は確かに開放されているけども、それは
外国人を外へ追い出す為の門戸だ"と指摘したと言う。
我々は駅から自動車で朝鮮ホテルに赴いた。ソウルは日本人が設計し整頓された都市であった。
広い道路、洋式の近代的建物があり、広場、公園、街路には多くの樹木が植えられ秩序と清潔さが
保たれていた。ソウルには日本人が一万二千人おり、白人の数は少なかった。ただ宣教師の数は多く
立派なカトリックの教会堂がこの都市の名物になっていた。
我々は広い並木道を通り、巨大な総督府に陣取る朝鮮総督を公式に訪問した。
我々は上階に案内され、宇垣一成総督をはじめ、副総督、文官、将校たちに迎えられた。
宇垣総督は理知的な眼差し、精力的な顎をもつ小太りの男であった。彼はこの暑いのに黒い燕尾服を
着用し、他の日本人官吏も同様であった。だが我々は非公式訪問と言われてきたので
白絹地などで訪問した。
公式に訪問したとしながら、後で非公式訪問と書いている。訳分からんな
更に続く