05/10/30 17:46:20 oWGS/jFP
>>594
西暦1874年は、我が国の明治七年です。
当時の我が国では、手紙は巻紙が主流だったのではないかと思われます。
我が国における便箋の普及については、これといえるソースが見つけられなかったのですが、
URLリンク(shimo.exblog.jp)
≫明治二〇年代には便箋が巻紙とともに用いられるようになった。
≫大正は口語文体の時代で、男女の文体は接近し、文房具も巻紙と毛筆から便箋とペンへ移行した。
URLリンク(www.kokuyo.co.jp)
≫コクヨ便箋のデビューは大正3年!
≫便箋といえば、コクヨには「書翰箋(しょかんせん)」というロングセラー商品があります。
≫真っ白な用紙に薄く細い罫線が引かれただけのとってもシンプルな便箋ですが、これには
≫とても深い歴史があるのです。
≫コクヨが便箋を発売しはじめたのは、なんと大正3年(1914年)、今から88年も昔のこと。
≫それまで手紙といえば巻紙に筆で書くスタイルが一般的だったのが、万年筆などの筆記具や
≫インキの普及と、1枚ものの紙が市販されだしたのをきっかけに、現在の便箋のような形態が
≫一般化していきました。
≫コクヨの便箋も、発売当時は表紙もない、ただ100枚の用紙をくっつけただけの簡単なもので、
≫商品名も「国印」「光印」というちょっとピンとこない呼称で販売していました。
≫「書翰箋」という名称に変わったのは昭和7年(1932年)から。
≫このコクヨの書翰箋は、当時の大ヒット商品となりました。
朝鮮日報記事中の便箋は中国製とのことですが、当時の清国では、こんなあでやかな色合いの
便箋が既に存在していた・・・ということですか。
ほんとかなぁ。