05/11/17 15:58:43 jblKCFxG
愚かな失敗を繰り返すな
領土問題は日ソ2国間関係だけでなく、当然、
国際政治の力学の変化によっても大きく影響される。
ソ連の強硬姿勢は70年代初頭にまたもや
国際社会の変化によって突然軟化した。
きっかけは米中接近である。
71年7月、ニクソン政権が発表した米中接近は、
アジアでの日米中の対ソ包囲網の形成にもつながりかねない。
孤立を恐れたソ連は日米に楔を打ち込むべく、
日本に接近、72年1月にはグロムイコ外相が日本を訪問した。
ソ連側から働きかけて実現したこの訪問で、
ソ連は平和条約締結交渉の再開を提案したのだ。
領土問題は解決済みと主張してきた従来の態度とは
全く異なる姿勢である。
73年の田中角栄首相の訪ソの際には、
日本は賢く攻めて北方領土問題とは2島ではなく
4島の問題であると、ソ連側に認めさせることに成功した。