06/08/10 20:41:32 h1k9yIkJ0
妄想を抱く人と接するとき、経験が浅いと、妄想が間違いであることを証明しようと躍起になって
無駄な努力をしがちです。
結果的に患者に振り回されるだけで徒労に終わります。
それと同じことがここでも行われている。
たとえば「屋根裏に誰かが住んでいて、いつも私の生活を覗き見している」という妄想を訴える場合、
それが間違いであることを納得させようとして、わざわざ出かけて行って屋根裏をこじ開けて調べたとします。
当然、誰もいません。
しかし、患者は納得しません。
「今は出かけているのだ」と言い始めます。
では、戻ってくるまで見張っていようと、ご苦労なことに丸一日を付き合ったとします。
当然「屋根裏の住人」は現れません。
すると、患者は「見張られているから出て行ったんだ。でも、今、黒い車が通り過ぎたが、それに乗っていた」
と言い出します。
車のナンバーから持ち主を割り出して問い合わせても、当然、相手にもされません。
こんな具合で、とにかく患者は「注察されている」という確信を維持すべく、あらゆる奇異な努力をします。
そして、それを説得しようと付き合うことは悪夢を見るような徒労に終わります。
もっとも、この世界に100%の真実はありません。
だから、妄想とみなしていることが、ひょっとすると真実だったということがあるかもしれない。
しかしごく特殊な場合を除いて、検討に値する主張と妄想とを見分けるのはそれほど難しくありません。
健康な一般人は皆、そのへんを見分ける能力を自然に獲得しています。
ところが、妄想を抱く患者はその能力が障害されてしまっているのです。
一般人にとっては自明なことが自明ではなくなっているのです。
そして、意味ありげに変容してしまった世界から迫られて、0.000001%の可能性に死に物狂いで
こだわり続けるのです。
そういう議論に付き合うのは馬鹿げています。
また、キナオダ先生がどんなに熱く議論を展開されても、その結果を真面目に取り上げる人がいるはずもなく、
わざわざ先生の主張を阻止するには及ばないと思いますよ。