06/05/04 22:11:57 LHpwGW7R0
駿台が京都、大阪でそれぞれ一校、代々木が大阪(江坂)に一校しかなかった83年当時、
河合塾は中津に大阪校の前身の大阪進学教室を開設していた。
その河合塾から、83年に近畿予備校宛に、近畿生全員に通常日程より1週間早い模試「京大入試オープン」受験お願いの申し入れがあった。
これについて、教務担当の大橋氏と井上さんからアナウンスがあった。
今はどうか知らんが当時、駿台の京大実戦模試と河合の京大入試オープンは同一日だったから、83年近畿生の何割かはこの2つを受験した経験がおありかと思う。
で、この時の駿台、河合の京大模試の数学の問題をめぐって、永井康孝氏が校内模試と対比しての講評プリントを作成・配布したのを覚えている。
当資料そのものは手元にないので詳細は忘れてしまったが、駿台の問題作成をクソミソに酷評していたように記憶している。
→83年在籍者で、誰か持っていない?