06/04/29 14:12:55 Hgwa5xGC0
>英作文は1浪目の時が津山、2浪目の時が柴山
'83年(S58年)の秋頃に澤井が京大向け英語特講を開設して、YMCAから古田を呼び、英作文のレクチャーをさせていた。
古田、初登場の際、自己紹介がてら黒板に名前を書いて「古田と書いて”フルダヌキ”」とウケん一言を発声。これには受講生一同、虚をつかれた。
予備校間の垣根をこえて、福崎、澤井、柴山らが対談、編集・発行した英語受験本を買わされた記憶もある。
>橋本が授業中、いきなり福崎批判っぽい自筆文を読み始めたのを覚えている。
クリスチャン橋本はプロレスにも精通してて、第1回IWGPで猪木がホーガンに失神KO・病院送りされた直後の英文解釈の授業で、「猪木は根性が足らん!」と喝を入れたこともある。
>化学の山本(“ハロゲン小林”とも呼ばれていた)
当時、近畿で多浪してた人から山本は以前、小林と名乗っていたことを聞いたことがある。山本、講義の際、天井向いて話すのがクセだった。
>大西の化学
大西は、当時テレ朝系夕方のニュースのキャスターやってた三宅久之(現・政治評論家)に顔も声も似てた。
山本(もと小林)、大西ともに化学の自著テキスト”赤本”を作っていた。
>京都の夜のラジオは「ハイヤング京都」
>文珍(火曜)、ツボイノリオ(水曜)、若宮てい子(金曜)
木曜は紳助。
昼間は、古紙回収の関西古紙の拍子ヌケの音楽とウヨク(皇守桜会?)の街宣軍歌をBGMにしてた。
通学時、京都御苑の中をチャリで二人乗りしてただけで、警官に呼び止められ注意されたこともあったっけな。