03/05/25 23:34 5QRRr/o0
>>751 続き
----取材方法も調査の対象になった。
浜田 どこまで取材が許されるのか、法的に明確な線が引けるわけではない。最
高裁も、公的機関の守秘義務と取材活動とは対立・拮抗すると言っているように、
取材活動が広く認められる緩衝地帯がある。今回の記者も、独自のデータをとろ
うと努力した。しかし、取材したことと、それを報道することとは別の次元の問
題だ。今回は、その区別があいまいだった。
記者が主婦と偽って拘置中の人を取材した裁判では、身分を隠して取材した方法
だけでなく、それで得た結果を報道したことと併せて、プライバシー侵害に問わ
れた。
尾崎 外務省機密漏洩事件(注)では、報道の自由はきわめて厚く保護されるべ
きだが、無制約とはいえないとの判断が示された。今回は、曽我さんに与える影
響に十分配慮すべき点があり、取材先の了解を得たら書いてもいい、とは言えな
い。曽我さんが「どうしてくれるのか」と怒る気持ちはよくわかる。
原 一般論で言えば、報道することを事前に相手に知らせるのは礼儀、信義とし
ては必要だ。今回、少なくとも曽我さんや取材先に事前に連絡する努力はすべき
だった。
むろん、発表したものだけを書くのではジャーナリズムではない。たとえ「盗み
見」といわれかねない方法でも公権力の疑惑などを報道するという気構えは持つ
べきだ。
そうした道義的に批判されても仕方がない取材も、目的によっては許される場合
がある。しかし、結果的に報道によって問題が起きれば、非難を甘受せざるを得
ない。報道は、細いラインの上を綱渡りのように渡っていく仕事でもある。
だが、拉致事件をめぐって報道すべきものは何か、新聞社内部できちんと議論し
ていれば、今回のようなことはなかったはずだ。住所は、道義を超えてまで報道
すべきデータではない。