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334 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 06:56:40 ID:o9/u9nisP
>>333
田中ロミオは池沼では無いよ。
田中ロミオは「優しさの切り分け」という比ゆをしばしば持ち出すけど、
他者への寛容を社会的にどこまで求めることができるか、という理念の究極的なパースペクティブだ。
「強くならなければならないなんて、そんな精神的増税、願い下げだ」
と、田中ロミオは貴宮忍に言わせたけど、これは彼自身の本音でもあったと思う。
社会が個人に対して価値を押し付けること、つまり精神の増税が、絶えず人間の精神や自由を圧迫しようとする。
田中ロミオはその現実に、少なくとも『CROSS†CHANNEL』の段階では覚めた目で見ていたけど、
無抵抗であるべしと説いていたわけではないと思う。
個人が社会を作る力を持っているならば……この仮定は非現実的だけども、
実際、『家族計画』の「家族」、『CROSS†CHANNEL』の「部活」、『最果てのイマ』の「聖域」は、
個人が作り出した社会だった。
田中ロミオ作品は究極的にはユートピア論だと、わたしはとらえているけど、
それは他者への同化圧力を強要しない、残酷さの抜け落ちた社会だったのではないか。
わたしは田中ロミオの作品に表れた精神は、哲学者リチャード・ローティのポストモダン・ブルジョア・リベラリズムの理想に近似していると思うけど、
ローティが言ったような、「残酷さに対する不寛容」を除く寛容さが、田中ロミオの理想だったように思う。