09/04/20 00:37:40 imGgz1RC0
>>889
一方、総集編では記憶がある事は断言されてる。「あったことだと思っている」ってのは、
記憶の中の世界が明らかに今の現実世界とは様相が違うからその実在性を問題にしてるだけで、
trueにおける朋也の決断に記憶が幇助している事は確定事項。
最終回でも坂~実写~出産までの流れで十分な描写になってる。渚の死体のフラッシュバックが決定的。
というか、ゲームよりも幻想世界関連の設定の説明は断定的に紡がれてるので、
過度の説明は野暮の域だよ。特に台詞での説明はこれ以上増やすべきじゃない。
(二行目は「呼ばない」描写→汐編→「呼ぶ」描写→trueというふうに、ゲームと同じ順序で
リニアに提示すればいいだけで、実際そうなってる)
更にゲームでは、朋也が現実世界と幻想世界で記憶が不連続だというふうにして、
記憶とは別個の意識のあり方を提示しているけど、アニメでは複雑化させないために記憶の連続性を明言してる。
以上の点で、設定上の消化不良は、
一部の描写を意図的に無視するか、原作とアニメの世界観に関する議論を混同した中にしか生まれない。
俺は原作ではtrue原理主義というか、作品を包括的に捉えて解釈すべきだという立場で、
アレはオマケだの、ただのプレイヤーへのご褒美だの、(明らかに正規EDなのに)本質じゃないだのという主張には賛同できないし、
その提示方法も全く問題ないと思ってるので、ゲームよりさらに説明的なアニメについて
世界観と結末の描写の点で批判されるのは、かなり危険な事だと考えてる。