09/06/02 14:58:49 +Frbo6/k0
つーか、>>98の比喩はかつて現実に正義として力を振るったイデオロギー
と比較している点で、いわゆる類推の誤謬に落ちてるような。
だれが考えても良くない事、許されない事(それこそ、殺人その他不道徳な事)を
フィクションとして表現するのは、ある意味人の業みたいなものなので、
それらを公権力で規制するのは馴染まないやり方だと思う。
一方、偏った主義主張を補強する宣伝工作になりかねない(現実になった
実績のある)表現は公益を著しく侵す恐れがあるので一定の規制は必要だろう。
>>98の例で言えば、人種差別や宗教その他の差別問題は「これも正義である」と
考えられかねない差別意識に基づいているがゆえに、それを助長するような
表現は慎まなくてはならない。
逆に言えば、「凌辱表現」の規制に否定的な人は、それが殺人などと同様に、
現実には絶対に許されない事だからこそ、フィクションとして認めていると
考えられる(無論、全ての人がそうとは言えないだろうが、現実にやってもよい、
と考えている人はむしろ表現規制には関心は薄いのではないだろうか)。
まあ、以下は極論だが、「悪い影響が出る」とか言ってる人は
自分の内心で「現実の凌辱は絶対に許されない事だ」、とは思ってないとも言える。
例えば、女性とかで現実の危機意識からそう考えているならまだしも
(それですら結局は自分の内心から他人もそうに違いないと決めつけている)、
危機意識に基づくことなく、他人の(愚かさを)心配をしているなら、
それはむしろ自分の内心の問題として顧みるべきではなかろうか。