09/05/24 22:55:28 6Hilo4le0
>>303
>これが現実社会の常識ではないことは有名な話ですわ。
そうだね。でも、今は法律の当不当を議論しているわけだから、現実社会の常識は一つの要素。
それをいかに処理するかというのは、学術的なテクニックの問題だよ。
例えば、郵政民営化で経済が良くなると多くの人が思い込んでいたとしても、
その是非を論じるときには、経済学的な常識に基づいて考えるでしょ?
>それに、法で保護すべき社会法益かどうかを第一次的に判断するのは裁判所じゃない。社会よ。その例が景観。
景観は表現の自由の問題じゃないからね。財産権の行使については、比較的容易に制約を課すことができる。
>しかし、現在の社会におけるコンセンサスとして受容されているといえる。変な学者とそのとりまき以外反対する人はいない。
法治国家では法は倫理規範としても機能するから、既存の法がコンセンサスを形成したのであって、コンセンサスが175条を形成したわけではない。
>理論上可能で、かつ、必要なものを規制しろと言っているだけよん。
その必要かどうかを議論している。
>表現の自由が問答無用で社会法益に勝るなんて言っていたら、人間の拠り所である社会がないがしろにされすぎているから。だから、心あるマスコミ各社はロリゲに批判的なわけだ。
そう、そこが議論の要点。
で、反対派の主張は、何が社会法益であるかということを決定する過程、
つまり、君が言うところの社会的コンセンサスを形成する過程の健全性を担保する理念こそが、
表現の自由なんだという考え方に基づいている。これは広く受け入れられている考え方で、反対する人は聞いたことがない。
そうであるならば、コンセンサスに権威を与えている表現の自由が、コンセンサスによって規制されるというのは自家撞着だし、
「沈黙の螺旋」を生みかねないから、多くの社会哲学者(ロールズ、ドゥオーキン……)が無原則の自由を与えている。
社会を軽視しているというが、その社会の形を決定するのは一人一人の自由意志であり、
その意志は、表現のやりとりによって形作られている以上、まさに表現の自由を守ることこそ、社会の健全性を担保することと不可分の重要性を持っている。