08/01/08 00:19:01 z+tB7pMy0
図書館司書の勉強しているときに見たんだけれど、
誰がどんな本を読んだかという情報は特に取扱に留意の要るものだ、
高度なプライバシー情報で且つ思想弾圧に利用され得るものだから
最も厳に利用者の望まない形での漏出を防がなければならいな性質のものだ
…とかいうのがあった。
20年前くらいから主流になってきている考え方らしい。
電算化によって、貸出カードの仕組が時代遅れになって、以前誰がその本を
借りたかということを他の利用者に知らせない方法が普及した一方で、統計・
抽出が容易になったために、こういうものについて司書が考えなきゃあならなく
なったそうな。
統計・抽出された情報を求める者が仮に治安当局だとしても、渡すことがどういう
意味を持つかということを考えれ、という設問がある。
司書の扱うのは字のか書かれた紙媒体の本が大半だけれど、紙に文字で書いた
文章でも(広義の)ソフトウェアであるわけで、本質的には、「どんな本を読んだ」
も「どんなゲームソフトを動かした」も変わらない。
アクチをやることは、誰かどんなゲームを動かしたか、という情報を、動かした
本人でない者が統計・抽出の容易な形で握ることだ。
体感的にアクチが嫌だというのは、そういうことを直感的に感じるからではないかな。
アクチの仕組を売り込む業者がそこまで考えているとはとても思えないし。