08/10/23 00:33:31
>>811
>この自我や意識が共通幻想に過ぎないなら、既に精神が宿った機械というのは
>存在するんじゃないかな。
客観的に評価して別の面から見た説明であっても同じ評価となりえるならば。
その存在にはなりえるが。そうじゃないよね?
部分的な集団の主観論でそう見えているだけでは意味になりえないのでは?
814:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 00:39:21
>>811
>基本的に、人間と深くコミュニケーションできる知能を作るなら
>結局人間を作るしかないと思う。
人間でいう。心という概念、そして魂というような概念のが
存在しているように機能する人工知能でであれば可能でしょう、
もちろん意味を理屈として理解する能力等も必須となります。
人は感情の生き物であり感じて情として行動(情動)するのです。
心は繋がったり閉じたり、共有したりする性質と言われている面がある。
魂はもっと複雑で説明しえない特徴ですが、これも無ければ人間的には見えない。
それらには必ず言葉や会話が必要とも限りません、例えばペットなどの愛玩動物
と人とのコミュニケーションには言葉は不用です。
815:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 00:44:53 jTPLluB5
>>811
禿同
コミニュケートや共通認識(意識)を持ったり、それを確認・認識する為に言語や文字、ボディランゲージ・・
時には視線や以心伝心なるオカルティックな技まで駆使する訳だけど、これってある種の固有振動を持つ者同士の共振・共鳴状態を作り出す為の一手段なんじゃないの?
人類には言葉が有り・・
マシンには機械語が有り・・
イルカには超音波交信が有り・・
みたいな。
816:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 08:06:47
ニューロン1細胞と同じような働きをする小型機械を(他ニューロンとの
加重関係も加味して)脳内のニューロン1つと置き換えたとしよう。
手術が終わって被験者が気付くと以前となんら変わりなく思考が出来るし
クオリアも感じられると思われる。
こんな感じでどんどん脳内の細胞を機械に置き換えていくとそれは人間ではなくなる?
817:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 11:55:54 HBYpE2nl
機械には錯覚は存在しないが
脳には錯覚が存在する。
なぜ脳には錯覚が存在するのか
その明確な理由を正すことからしないと
人工知能は当分無理だね。
818:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 12:53:46
>>817
錯覚と類似する情報処理はある。それは情報を完全に再現できないのは
情報の伝播で抽象的にしろ絶対的にしろ元の情報とは差が生じるからだ。
アナログ的なものは伝播する度に劣化するが、デジタル的なものは
許容量を越えた時点でいきなりデータが化ける。タイミングは違えど
真に完全な情報が転写されることはありえない。
脳でも錯覚しやすい人としにくい人の差が極端にあることも理解しておくこと。
デジタル的なものでもノイズを受けやすいのと受けにくい情況があることも
理解したほうがいい。
819:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:03:23 2tyWXc2L
>>818 賢いですね
人間は集中と惰性の中で生きていると思います
集中は欲望を叶えるための目的、つまり欲によるインセンティブが影響していると考えます。
惰性はそれによる混乱と思います。
この二つの間にはかなり相関性があるように思えます。
820:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:03:27
>>817
その理由は簡単。
人間の脳は、取得した画像や音声に対して、強力な補正をかけるから。
その際に参照するデータはその人間が今まで蓄えてきた記憶。
だから人の顔はすぐに見分けがついたり、ただの壁のシミが人の顔に見えたりする。
コンピューターだって取得した画像から人の顔だけを抽出しようとすれば、
プログラムやサンプルデータ次第でいくらでも錯覚するだろう。
821:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:08:41
>>819
常に集中してる状態じゃシステムメンテナンスができない(交感神経と副交感神経など)。
惰性はただのシステム防衛の機能だと思うが。
822:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:10:27
>>816
>こんな感じでどんどん脳内の細胞を機械に置き換えていくとそれは人間ではなくなる?
完全な細胞だけの人間であっても、機械的な面が存在しないわけではない。
それは複雑さと性質の違いであって、結果的に起こりえる特徴となっているのに
すぎない。
人間とプログラム式機械と言い換えれば、人間はネットワークによる情報処理方式で
プログラム式機械は手順式の情報処理方式という根本的に原理が違う存在です。
機械的に情報処理をネットワーク型に置き換えれば、人の情報処理の働きは
類似して然り、しかし機械式ネットワークそのものには人の原理に存在する
魂のような機能、つまり神経細胞の揺らぎであったり、それぞれの細胞性能の差が
存在している。環境によってもその機能は一定ではなく動的に変化しえる。
一見安定しているが、微妙な差動は常にあるということ。
デジタルの世界のように原理を固定すれば、結果が常に一致するような想像では
計れない要素が存在していることを受け入れるべきです。
時に予測不可能な行動ができる、それが人間の原理の1つにもなっている。
その予測できないことや、理に反したこと、矛盾や無駄や非合理な面をもっている
それが人間であって機械でも近似的なものを作ろうとすれは不可能ではない。
だが機械では、作るものとの関係で合理的な存在を必然的に作ってしまう、
人が作るものは作りやすい、考えやすいという流れに流される為に、その結果は
機械的な性質を持ってしまう。
823:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:14:31
人の情報処理では環境という2次的なもの、その環境と社会全体という3次的なもの
そういう複雑な階層をもつ中での存在で機能するオブジェクトであって。
手順式機械のように単体の閉じた中で、常に同じ結果を再現できる手法に
特化した原理で動いているわけではない。
この差は非常に大きく、人と機械との差になっていることを認知していない人が
多すぎる。
824:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:24:25
人には多様性という原理が存在し、それが大きな間違えや
生存という目的に反する行動にすらなっている。
機械に実装しない機能はこの部分であって、人は不用な機能を機械へ与えなかった
無駄で無意味で非合理な機能、つまり目的に反する自虐的にいたることができる
原理である。
それは道具として使い、常に機械の破棄(死)を人が判断すればいいからである。
機械は人によって生まれ、人によって殺される道具である。
この道具に多様性が生む無秩序への原理を組み込み、機械式がいたることができない
矛盾と無駄、無意味への世界への道を作り上げたらどうなるか?
それは製品としては誤動作や爆発、延焼、停止、曖昧にしか動かない、
機能の一部しかできない、動いたり動かなかったり、そういう製品には必要のない
機能になってしまう。(※劣悪な海外製品には普通にある)
これが必要なのか、もう一度考えてほしい。人には存在する機能である。
劣悪な性能の悪いものがほしいのか?
825:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:26:59 2tyWXc2L
>>821
>>常に集中してる状態じゃシステムメンテナンスができない(交感神経と副交感神経など)。
そうですね。人間は生授かってる以上、システムメンテナンス=食欲=生存本能が邪魔をすると仮定しています。
>>惰性はただのシステム防衛の機能だと思うが。
正しいと思います。しかし惰性というのただ脳にインプットされたものの中からでないと得られないと仮定した場合
それがどこからきているのかを考えれば解が出ると思います。
私も言語的に貧弱で言葉にできないのですが解だけ申しますと
交感神経(記憶=慣性)=副交感神経(記憶=慣性)
記憶=感覚神経から得られるもの
慣性=感覚神経から得られるものだが記憶しているもの
826:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:36:24
人間が目的を達するには、1次的な直接行動、2次的な間接行動、
3次的な必然的情況を作り出す高度な行動などがある。
3次的な思考が日常的にできるようになれば、その意味もわかるだろう。
827:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:39:16 2tyWXc2L
>>826 自己実現論ともいいますね
私は再回帰性に関心があります
828:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:54:55
そして4次的な偶然に身を任す行動もある。
悪魔的に全ての理を破壊し無から始める。
無意味の極限には意味が存在する。
その4次的な意味を理解できるものはほとんどいない。
逆に意味を理解できては困る。
829:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:56:03 2tyWXc2L
>>826 ダーウィンが正しければ感覚機能が存在しない情報をインプットアウトプットするだけの
物体が世の中に存在しているはずです。
それが宗教的には神の位置づけ、仏教では無機物、キリスト教では観測者ではありませんか。
830:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 13:57:39 2tyWXc2L
>>828 死次元ですかwww
831:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 14:12:04
>>830
世の中には越えられない壁というものがあるのね。
それは壁そのものは超えられないものと定義されちゃっている、
そして全てと因果している。
それを超えるには?
世界そのものを否定するか、あちらの世界に1歩進むしかない。
それは嘆きの壁の向こう側にある世界で、現実を生きるものが近寄っては
いけない領域なの。
まあ現実的な話になれば、科学で絶対に破れない壁があるならば、
科学を全面的に否定することでその壁は容易く破れるという話です。
根本的な解釈の仕方を変えれば、同じものでも別世界の存在に
なりえるということ。全ての知識を捨てることができますか?
832:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 14:22:29
過去へは戻れない、何故なら過去へ戻れば因果律が変わってしまうからだ。
例えば戦国時代の信長の時代へ戻るとしよう、
そして暗殺を防ぐとしたら?んなことしたら歴史が変わるよね?
そにには因果律に矛盾が生じ物理世界の秩序そのものを壊すことになる。
つまり現在の因果律の説明を壊すのと同じ。
この因果の壁を越えられない壁と定義しているわけだから、超えることは
不可能なのね。
超えてはいけないし、もともと超えられないとされている。
よって音速の壁を越えたから努力すればできるだろう、
そして光速も超えられるだろう、
じゃ時間の壁も超えられるだろうという思考しか残っている無い。
それがどういう意味か分かるなら、壁を越えることはしないほうがいい
ことが分かるよね?
超えられない壁は超えられないの。超えるには全ての因果を破壊して
妄想の世界にでもGO!
833:ご冗談でしょう?名無しさん
08/10/23 16:25:11
なんか文系ぽいのがいるね