01/01/20 13:05
では、何が問題か。ぼくはここであえて問う。今世紀最大の日本の失政、それは「農地改革」である。これが、日本および日本人の自立性や責任感を奪い、本来日本社会が持っていた経済メカニズムをメチャクチャにした。戦後の社会、経済の歪みが問題になるとするならば、それは農地改革による、農地解放の強要が社会を歪めたからだ。今問題にされがちな社会の荒廃も、教育とかそういう問題ではない。教育など、常に社会全体の構造の従属変数でしかない。悪いのは社会全体のユガみ、ヒズみなのだ。そしてそれを引き起こしたものは、日本社会の経済的発展メカニズムを無視した農地改革なのだ。
なぜ農地改革が問題か。それは、近代以降社会の発展のカギとなっていた、シュンペーターの言う「起業家精神」を生み出す土壌を日本から奪い、利己的で無責任、そして甘え切った現代日本人を大量に発生させ、愚衆政治をもたらすきっかけとなったからである。最近の、江戸時代の文章記録にもとづく、社会・経済構造への分析にはめざましいものがある。これにより、戦国時代から江戸時代の初期にかけて、生産力の増大と、武士階級の官僚化にともない、中世的な「領主による土地所有・農奴的な耕作」の体系が崩れ、近代的な「農民によるフラットな土地所有」の形態が出来上がったという見方が定着した。
今までも、「皇国史観」そしてそれと裏表一体の「マルクス史観」にとらわれない人々の間では、このような考えかたもあった。実際ぼくの学生時代の論文のテーマは、シュンペーターの史観にもとづく「江戸時代の起業家精神」である。自己肯定はさておき、かつてのように、江戸時代が封建的で中世的な農奴制という見方は、完全に崩れた。では、どうして農地解放で土地を奪われる地主が生まれたのか。それは、生産組織としての「家」の合理性の差と、起業家精神・勤勉さといったリーダーの能力の差である。要はどんどん努力し、合理的経営をして規模を拡大しようというモチベーションを持つ人が家を近代的な生産組織化することにより地主化し、そうでない現状維持派の人が小作人になった。それだけのことである。
別に封建制度の残存でも、前近代的な農奴制でもなんでもないのである。それどころか地主層の持つ「起業家精神」が、実は日本の近代化の原動力であったのだ。地主層は、自己責任で自立的に行動できる、起業家精神あふれる層である。彼らは自らいろいろな事業を起した。それだけでなく、投資家としてその資金を、ベンチャーマインドあふれる事業者に、セルフリスクで投資した。このため、戦前の日本の株式市場は、今以上に個人投資家の比率が多いだけでなく、自己責任で活発な投資が行われていた。まさにちょっと前のアメリカのNASDAQのようなものだ。政治でも戦略でもなんでもない。このような草の根ベンチャーマインドが国中にあふれていたからこそ、近代化が進んだのだ。
しかし、農地改革はこの日本の発展を支えた事業家・投資家層から、その資金源を奪ってしまった。そして、それを無責任で甘えの構造にすがるのをモチベーションとしていた「小作人層」にばら撒いてしまった。もともと日本にはそういう人間のほうが多い。だから地主層の数が相対的に少なかったというだけだ。ヤる気のある人がおおければ、自然と自作農が増えているはずだ。それ以降の日本経済が、規模こそ大きくなってきたものの、その拡大とともにどんどん利権を拡大し、利権にすがる人間だけを増やしてきたことも、実にむベなるかな。こういう失政を許してしまったがゆえの当然の帰結である。
URLリンク(www.t3.rim.or.jp)