08/05/25 16:13:23
>>1 (つづき)
このεの幅の中に、
無限に関する部分を括り込んで、
εとδを定めるというわずか2回の操作で、
無限の果ての実体の特性をおさえている。
ところで、ここでこの見方を変えて、
上記の記述を逆に表現すると事態がよりはっきりする。
そもそも人間には無限の果てはわからない。
わからないのだから、
人間が操作可能な有限の道具を有限回使って置き換えるという操作をもって、
無限に関する意味づけにすると考える方が合理性があるのだ。
つまり、実体をεδがうまく表したのではなく、
εδをもって実体とするのだ。
εδ以外でも無限を意味づけることができる構造があるかも知れないが、
もしそれがあれば、そのような立場によるあらたな数学ができるのであり、
εδによるものと矛盾はしないだろう。
この議論のポイントは、
無限に関する何らかの実体をεδの構造がうまく表しているという立場から一歩進んで、
εδの構造によってその実体を定まったものとみなしているという視点の移動にある。
このεδの構造を抽象化したものが位相構造と呼ばれる。
εとδを、集合の包含関係に置き換えて一般化されることになる。
雑駁ではあるが、
εδを感覚的に表現すると以上のような感じになると思う。