08/05/25 16:11:16
>>1
εδ論法は、関数の連続や収束を論ずるために使われる。
数列や点列の場合は、δの代わりにnを使うが、本質的には同じだ。
要するに、極限や収束を議論できるようにしたものがεδ論法だ。
ところで、連続や収束や極限操作を考えると、
何らかの意味で無限に関することを取り扱う必要が生じる。
ところが悲しいかな人間は、無限を知ることができない。
あるいは無限個あるものをすべて確認することはできないと言い換えてもよい。
このように、一見、
人間には取り扱えないように思われる無限に関するものを、
取り扱えるように考えた仕組みが、
εδ論法あるいはεn論法と呼ばれているものであった。
この考え方のポイントは2つある。
1)無限回行うべきある種の操作、
たとえば点列のnをどんどん大きくしていくというような操作を、
εとδ(あるいはn)を定めるという有限回(2回)の操作に置き換えていること。
2)εとδ(あるいはn)は、それぞれ有限の値であるということ。
εとδは、近似の幅だ。
特にεは、人間が直接確認できるものと、
人間にはわからないかもしれない無限の果てにある実体との
近似の幅を与えている。
(つづく)