06/06/29 23:52:39
人は見性を通して「悟り」を知ります。社会の不毛さを知り、自己の不毛さを知り、
概念を通して知ることの不毛さを知ったとき、その人は「自己」に向き直ります、
そして「自己」の空しさを知り、死を願います。
それは死でありますが、「悟り」だけは残されてしまうのです、この「悟り」が
最後の「自己」となります、皮肉なことですが。ですから、「ヒーロー」が「悟り」に
なったくらいのものです、何も変わりませんし、むしろ不自由です。
ですから、その先、死んで死んで死にきって、すなわち「誰でもない者」です。
そうすると、「悟り」の存在証明もいらないかもしれませんね。