09/04/24 03:58:15
◇5年半で半数30業者、40人が残った
◇施設老朽化、資金負担重く 再開へ消えぬ不安
霞ケ浦の養鯉業者の大多数が加入する霞ケ浦北浦小割式養殖漁協で組合長を務める竹石正明さん(53)
=行方市=は、コイヘルペスウイルス(KHV)の発生当時、コイの死がいが湖面に浮く姿を前に「もう終わった」
と立ち尽くしたという。28年間、生産量全国1位を保ち続けてきた霞ケ浦のコイ養殖が止まってから5年半。
組合では廃業が相次ぎ、以前の約半数にあたる30業者、40人が残った。
霞ケ浦で食用コイの養殖が始まったのは昭和40年代。養殖に適した環境に恵まれ、間もなく生産量全国1位
に躍り出た。18歳で養殖の世界に入り、霞ケ浦のコイが産地間競争に勝ち抜くのを間近で見てきた竹石さんは
「最初は細長いコイでばかにされたんだけど、努力してふっくらしたコイができるようになった」と懐かしむ。
竹石さんは養殖を休止後、霞ケ浦でナマズや天然コイの漁で生計を立ててきた。再開を待つ組合員の多くは
フナの養殖などをしながら、貯蓄を切り崩して生活。中には収入がゼロの人もいたという。
再開に向けて不安材料も多い。休業の間に網いけすが老朽化。KHV耐性コイ育成のための昇温施設の建設
も急務で、資金面での負担が重くのしかかる。竹石さんは、少なくともそれぞれ数千万円はかかると見積もる。
「設備を替えてもあと何年できるか分からない。途中でやめる業者も出てくると思う」と、不安を打ち明けた。
4月23日朝刊
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