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多元数理科学研究科は1995年に四方氏を初代研究科長に戴いて創設され
たのであるが、開設にあたっては数学教室の外部から新たに29名(併任
は除く)の研究者を教員として招へいした。その内訳は、旧教養部数学
教室から10名、その他の部局からは19名(うち数学者は6名)であった。
数学以外の研究者の専門分野は、医学、教育学、経済学、生命科学、物
理学、コンピュータ、流体力学、教育行政(マネージングプロフェッサ
ーとして文部省から出向)と、実に多様であったので、これが数学の研
究科か、と世間は目をむいた。数コンに続いて四方氏は再度世の中を誰
の目にも明らかだったが、多元数理はフォローアップセミナーとシンク
ロしていた。大学院の第一期生として、筆者の脳波を測ろうとしたあの
面々の顔があった。数学以外の(便宜上、以後‘応用系の’と呼ぶことに
する)教官たちは、パネルディスカッション形式の講義をとり入れるなど、
横の連絡をとりあって学生たちの教育にあたった。修士課程の定員が一挙
に60名まで拡大されるとともに社会人枠まで設けられたことは、学位への
門戸が開放されたとの印象を一般社会に与えたことは確かであり、この動
きを歓迎した向きも多かったに違いない。ところがこれが仇になった。他
大学の多くの数学者たちはこの新研究科の理念に首をひねり、内部の数学
者の多数は苦しくうめいたのである。そのうめき声が怒号に変わるまで、
さして時間はかからなかった。第7回目の数コンは、四方氏が研究科長選
挙で敗北する5ヶ月前に開かれたものだったから、勢いにかげりが見えた
のは当然だったと言える。数コン問題の「正解のない面白さ」も四方氏の
存在あってのものだったから、「正解のなさ」が次第にウラ目に出だした
のもやむを得ないことだった。実際、数コンの母体をなす中・高校の先生
方には問題の出題意図を把握することすら困難になっていたようである。
文章・大沢健夫
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